人は誰でも、必ず死ぬ。しかし、その「死」にまつわるあれこれは、こと日本ではタブー視されがちだ。しかも何かと手順の多い葬式となると、何が「正しい」のかわからない。
葬儀屋の言うようにやったほうがいいのか? でもニュースでよく見るようにボッタクリが横行しているのではないか? 何が真実かわからない“葬儀業界のリアル”を現役社員にインタビュー。キャリア30年、仕切った葬儀数は1000件を超える山川芳純さん(50代、仮名)に聞いた。(全2回の1回目/後編を読む)
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かつて葬儀屋は「チンピラの集まり」だった
――葬儀屋さん一筋。そもそもこの業界に入ったきっかけを教えてください。
山川 私は父親を大学生の時、早くに亡くしたんです。お葬式の時は喪主だったのですが、まだ20代で何もわかっていなかったので、変な大人がワラワラ出てきて、食い物に……。「正解」がわからないから言われた通りやるしかない。でも後から考えたら、あれは必要なかったんじゃないかというような“儀式”があったりして。そこで、いっそこの経験を活かそうと思ったんです。
――実際葬儀屋さんに入社して、驚いたことはありますか。
山川 30年前の葬儀屋って、どこにも働き口がないような流れ者とか、チンピラの集まりだったんですよ。社会からドロップアウトしたような人が多いなか、私は大卒だったこともあって、結構いじめられました。ノウハウも、「見て覚えろ」とか「技は盗め」とか、ほったらかし。体系だった教育は一切ありませんでした。今思えば、言語化、文書化するスキルがなかっただけだと思うんですけどね。
――大卒は珍しかった。
山川 そうですね、私が初めてくらいの時代です。人を募集して、教育とかマーケティングとか、きちんとやりましょうという考え方がやっと出てきた頃ですね。
葬儀業界は基本、長時間労働だし、24時間呼び出されるし、とにかくハード。だから“使い捨て”が多くて、昔は2、3年で疲れて辞めるものだったんです。雇う方も、すぐ辞めるんだったら、教育にお金や労力をかけても仕方ないっていう考えもあったんじゃないかな。
暴力も当たり前。社会人1年目は結構ギリギリで、精神的に病んで、辞めようと思ったこともあります。
――それでも続けてこられた理由は何だったのでしょう。
山川 初めて担当したお葬式が終わった後に、ご長男さまが、お礼の言葉とともに「葬儀屋さんらしくないけど、あなたが担当してくれてよかった」って言ってくださって。それがすごく嬉しくて。
――“葬儀屋さんらしくない”とは。
山川 当時はドンブリ勘定とか、お客さまを雑に扱ったりとかっていう、適当で“ダーティー”なイメージが強いところへ、私は割と理屈っぽいというか…。キッチリ感があったのでしょうか。
――そういえば、葬儀屋さんって病院とズブズブで、結託して儲けるみたいな都市伝説が……。