1ページ目から読む
2/4ページ目

山川 昔はそういうところもあったかもしれませんが(笑)、今はお葬式の予算も縮小していますし、結託があったとしても採算はとれない。うちも契約している病院はありますが、もちろん選ぶ権利はお客様にありますし、連絡があったら行くぐらいのお付き合いしかないですね。

――なぜ、葬儀屋さんはボッタクリみたいなイメージがついたのでしょう。

山川 葬儀屋さんにチンピラが多かったせいもあり、基本ボるもので、“腹黒い”というイメージがついちゃったのかと(笑)。あと、お葬式は地方ごとのしきたりもあるので、割と土着な零細企業が多く、「適正価格」がわかりづらかったという歴史的背景は関係あるかもしれません。

ADVERTISEMENT

――葬儀業界に携わる人の性質に、変化はありますか。

山川 少しずつ“汚れ”的なイメージは薄まり、目指す業界として受け入れられるようになってきてはいるなと思います。一方で、ここ数年、病む人も増えてきたなあという気はしています。

 うつで辞めるとか、病む人っていうのは、昔は、不思議なくらいいなかったんですよ。おそらく、自分はメンタルが強くないという自覚がある人は、最初からこの業界を目指さない。自ずとフィルタリングされていたのではないかと思うんです。

――どういうポイントに“病む”原因があるのでしょう。

山川 頭では理解していても、いざ入ってみたら、やはり常に人の死や人間の本性を目の当たりにするわけで、メンタルがタフでなかった――“グラデーションの端っこ”にいた人が病み始めることがあるのかなと。やりがいが上回ってくれたらいいんですけど、疲れてくると、そういったことも感じられなくなってきますよね。

「派手な霊柩車」は消滅の危機

――お葬式にまつわるもので、“時代”を感じることはありますか。

山川 まず、お通夜をせず、火葬のみの家族葬や小規模なお葬式など、あまり大掛かりな式はやらないというケースが圧倒的に増えました。コロナがそういった風潮を後押しする形になりましたが、この傾向は止まらないと思います。

――お通夜では、親戚や友人らが用意された食事やお酒を愉しみながら、昔話に花を咲かせる、というイメージがあります。

山川 もともと、お通夜は人の死を受け入れる時間的猶予という意味合いがあります。個人的には、お通夜が終わった後の食事の時間は好きなので、なくなるのは寂しいんですけどね。

――そういえば、いわゆる派手な屋根付きの“宮型霊柩車”も、見なくなりました。