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「クビ」という単語に自分の名前を連想するように

 それまで小林はストレートで打者を抑えてきたが、ブルペンのすぐ横に自分より速い球を投げるピッチャーがいた。そのまた隣にはさらに上がいた。こんな世界で自分は何を頼りに成功すればいいのか。二軍のマウンドに上がることさえままならない小林には、それがわからなかった。

 はっきりしていたのは、松坂はこの世界ですでにエースであり、50を超える勝利を手にしていたということ、まだ何者でもない自分との間には果てしない距離があるということだった。

 松坂だけではなかった。同じ東海大学から巨人に入った久保裕也は1年目から東京ドームで華やかな照明を浴びていた。早稲田大学からダイエーに入ったサウスポーの和田毅は新人王を手にしていた。松坂世代とひとくくりにされ、遠くからは並んで光っているように見える星の群れも個々の明度には歴然と差があり、序列があった。アマチュアでは顕在化しなかったその差が、プロの世界ではこれでもかというくらい浮き彫りになった。

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 いつしか松坂と並んで映ったあの写真は小林の手元を離れ、遠いものになっていた。クビという単語に真っ先に自分の名前を連想するようになっていた。

 2004年の秋、館長の堂上が言った通り、落合は15人の選手に戦力外を通告した。その中に小林の名前は含まれていなかった。その理由が、小林にはわからなかった。

落合博満氏 ©文藝春秋

落合から受け取った1本のビデオ

 なぜ、俺ではなかったのか……。

 そして新しい春が来るたびに、次こそは自分の番だという不安に襲われ、身を縮めながら秋まで過ごさなければならなかった。人々が待ち望む季節を小林は怖れた。

 小さなきっかけが訪れたのは、ようやく一軍で4試合に投げた3年目の秋だった。オフシーズンの練習をしているところへ、投手コーチの森繁和がやってきた。何か思惑を秘めているような顔をしていた。

「お前、腕を下げてみないか?」

 森は縁の細い眼鏡の奥を光らせて言った。オーバーハンドからサイドスローへ転向してみないかということだった。思いつきではなく、タイミングを計っていたかのような口調だった。

 この年はシーズン中から森の視線を感じることがあった。ブルペンでピッチング練習をしていると、小林のことをじっと見ている。そして、フラッとブルペンにやってきた落合もまた森と何やら話し込みながら、自分の方へと視線を送る。そういうことが何度かあった。もしかしたら、俺は期待されているのかもしれない……と内心では思っていた。

「昔な、こういう投手がいたんだ」

 腕を下げるという言葉の真意を測りかねていた小林に、森は1本のビデオを手渡した。

 自宅に帰ってそれを再生してみると、画面の中にはひとりのサウスポーがいた。小柄で細身のその投手はモーションに入ると低く沈み込み、地面スレスレのところからボールを投げていた。