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 永射保─1970年代後半から80年代半ばにかけて、西武ライオンズ黄金時代の幕開けを支えたリリーバーだった。

落合と森から注がれていた視線の意味

 永射は「左殺し」の異名を取った。左の横手投げという希少性を生かして、左バッターの背中から襲ってくるようなストレートとカーブで各球団の主砲を封じた。自軍のピンチでマウンドに上がると、ロッテの二冠王レロン・リーや南海のホームラン王・門田博光、日本ハムでサモアの怪人と怖れられたトニー・ソレイタら左打ちの強打者を淡々と打ち取ってマウンドを降りていくのだ。

 永射の存在は、天下無敵であったはずの彼らに左打ちであることを呪わせた。リーはあまりに永射に抑えられたため、1981年のある試合で、本来とは逆の右打席に立ったほどだった。

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 小林は30年近くも昔の永射の投球に食い入った。古びた映像を何度も巻き戻した。ゲームの勝敗を左右する場面で1人の打者を抑える。そうやってこの世界を生きていく方法もあるのだということを永射の姿は示していた。エースではない。主役ではない。だが、舞台の片隅に自分だけの場所を持っている。小林にはそんなワンポイントリリーバーが眩しく見えた。

落合博満氏 ©文藝春秋

 落合と森は同じ時代に敵として、味方として永射を見てきたのだ。小林はシーズン中に落合と森から注がれていた視線の意味を理解した。

 そういうことだったのか……。

 セ・リーグのライバル球団を見渡してみると、阪神の金本知憲をはじめ、巨人の高橋由伸と阿部慎之助、広島の前田智徳といった左バッターたちがライバル球団の主軸として君臨していた。

ずっと抱えていた憧れに別れを告げ、フォーム変更を決意

 小林にとっては雲の上の存在だったが、落合と森は彼らを飯の種にしろと言っていた。21世紀の永射になれ、というのだ。

 腕を下げてみないか?

 小林は森の言葉をもう一度、反芻してみた。

 希少性を武器とする左のワンポイントになるということはこの先、舞台の片隅で、脇役として生きていくということだ。

 小林の胸に一瞬、松坂とふたりで並んだ写真がよぎった。

 まっさらなマウンドに上がり、スピードボールで打者をねじ伏せる。ずっと抱えていた憧れに別れを告げることになる。

 それから小林は、まだ何者でもない自分と結婚した妻と物心ついたばかりの幼い娘の顔を浮かべて、青春の匂いがする微かな未練を断ち切った。そして森に返事をした。

「やります。お願いします」

 その日から小林は、誰とも違う角度からボールを投げるようになった。低く、もっと低く。ありったけ重心を下げたところから重力に逆らうように投げていく。そのフォームは想像していた以上に苦しいものだった。