落合博満監督、森繁和投手コーチの一言でサイドスローに転向して以降、“左殺し”としてチームに重宝され続けた小林正人。そんな彼が本格的に才能を開花させたのは2011年シーズンのことだった。球速130キロに満たない左腕は、いかにして球界の強打者たちを抑え込む投手になれたのか。

 ここでは、フリーライターの鈴木忠平氏が執筆し、第53回大宅壮一ノンフィクション賞、ならびに第32回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)の一部を抜粋。ファンの記憶に残り続ける左のワンポイントリリーバーが、自身の投手としての誇りを取り戻した一戦について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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中日に訪れたひとつの終わり

 2011年は特別なシーズンだった。桜の花びらが見上げる空にひらひら舞うころになっても、まだ日本列島にプレーボールはかからなかった。

 3・11─太平洋、三陸沖の海底から起こった大地の鳴動は、人智の及ばぬ海水の巨大なうねりとなり、一瞬で1万人以上の命を奪い去っていった。あとに残されたのは変わり果てた街の残骸だけだった。

 日常は永遠には続かない。終わりはある日突然やってくる。逃れることのできないこの世界の摂理に人々が打ちのめされるなか、プロ野球も例年より半月遅れの開幕を余儀なくされていた。

小林正人氏 ©文藝春秋

 生と死、破壊と再生を突きつけられた春に、中日という球団にもひとつの終わりが訪れていた。

「勝つことが最大のファンサービス」

 3月25日、ナゴヤドーム3階の会見場は報道陣で埋まっていた。壇上には10年間、球団社長という地位にいた西川順之助と、その隣には新しい球団トップが並んでいた。

 坂井克彦─本社の常務取締役であり、名古屋市の教育委員長も務めている人物だという。細身と白髪が印象的な坂井は柳が揺れるように静かな口調で言った。

「強いチームをつくらなくてはいけません。それと同時にファンを大事にしなくてはいけません」

 会見場の隅にいた私は、膝の上に広げたノートにその言葉を書きつけた。他の記者もこのフレーズにペンを走らせていた。坂井の語調は二つ目の言葉をより強めていた。

 さりげなく放たれたその言葉の矛先がどこに向けられているのか、このチームを見てきた者なら誰でも察しがつくことだった。坂井の第一声は明らかに落合を意識していた。

 メディアが求めるようには語らず、内部情報を閉ざし、「勝つことが最大のファンサービス」と公言する。本社内には、そんな落合に対し、「メディアを、ひいてはファンを軽んじている」という批判が渦巻いていると耳にしたことがある。坂井の発言はそれらを代弁しているかのようにも受け取れた。