1ページ目から読む
4/4ページ目

 県境を過ぎてしばらく走っていると、並行する川との高低差がどんどん大きくなってゆく。川底ははるか下だが、ガードレールはない。生死の境というのは、意外と身近なところにある。まだ死にたくないので、一瞬の操作ミスも起こさないよう慎重に車を進める。

 スリリングな道を運転すること2時間。まだ人家は見えないが、電柱や田畑が現れた。人はいなくても、人の気配を感じるだけでとても安心する。信号機やコンビニがこんなに恋しく感じる瞬間は、他にないだろう。

川底ははるか下。だが、やはりガードレールはない……
路面の状態は良くなっても、スリリングな運転は続く

 酷道区間を抜けて最初に民家が見えた時の安堵感といったら、例えようがない。全身の力と緊張感が一気に抜けて、車から外に出るのも億劫に感じるほどだ。このあとは、もちろんコンビニに吸い込まれた。

ADVERTISEMENT

なぜ“酷道”が生まれるのか?

 酷道の走破には、少なからず危険が伴う。ガードレールがない断崖路で対向車が来た際、数百メートルバックする自信がない人は、行かないほうが無難だろう。また、この道を必要としている人の存在や、自然災害と闘いながら整備してくれる人への感謝の気持ちも忘れずに通行したいものだ。

 国道なのにこんなに酷く、しかも1年のうち数か月しか通れないなんて道路として役に立っていないんじゃないかと思われる方もいるだろう。また、比較的近い距離に国道41号と東海北陸自動車道が並走しているため、ますます存在価値が疑われそうだが、道路はただ“通過”するためだけに存在しているものではない。山林の手入れや、所有する土地に出入りするために、そうした道路を必要としている人たちもいるのだ。

どんな酷道であっても、その道路を必要としている人たちがいる

 この国道471号、以前は県道だったが、1993年に国道へ昇格している。県道等が国道に昇格する経緯は様々だが、国道に昇格させることで綺麗に整備されるのではないかという、地元の期待を背負っていることも多い。

 自然災害が毎年のように発生する地域であればなおさら、国道になれば国が何とかしてくれると期待し、国道昇格促進期成同盟会が結成されたりもする。

 471号の場合は飛騨と越中を結ぶ古くからの街道だったことも考慮されたと思うが、将来へ向けた期待もあっただろう。

 酷道は、そうした期待に応えられていない国道ともいえる。酷道のまま我々を楽しませてくれるのか、酷道の名を返上して高規格道路に生まれ変わる日が来るのか、今後も見守り続けていきたいと思う。

 

撮影=鹿取茂雄

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。