演劇界の重鎮にウケたものまね
――民藝の入団試験はすんなりと? こちらも名優の宇野重吉さんが主宰する劇団ですから、なかなか難しかったんじゃないかと。
いっこく堂 そうなんです。早稲田大学演劇科、文学座の研究所、桐朋短期大学の演劇専攻などできちんと勉強した人たちが集まってきてますから。でも、僕はものまねやって入っちゃったので(笑)。3次試験まであって、面接で宇野重吉さんとかのものまねを披露したのが、とにかくウケたんですよ。
――劇団民藝の先輩であり、大ベテランの俳優・米倉斉加年さんの一言が腹話術を始めるきっかけになったそうですね。
いっこく堂 巡業公演中の宴会でものまねを披露したら、「みんなで芝居をやっているときより、ひとりで芸を演じているときのほうが、いきいきしているねぇ。ひとりで何かやってみたら」と米倉さんが仰って。
持ち時間は「3分間」、ブレイクのきっかけは…
――俳優よりも芸人に向いている、と。
いっこく堂 ちょうどその頃、演出家の方に「お前の芝居は駄目だ」って散々に言われて、悶々としていたんですよ。僕の才能がわからない人たちと芝居したってしょうがないなって。米倉さんは役者としても僕を買ってくれていたので、その言葉がことさら響きましたよね。
で、「よし、自分ひとりでできることをやろう」ということで目を付けたのが腹話術なんですよ。中2の時に初めて腹話術を見た時の衝撃を思い出して「コレだ!」と。1992年に独学で始めて、バイトをしながらボランティアで老人ホームや児童館などを回って。正式に仕事が入ったのは、1995年くらいですかね。
――ブレイクのきっかけは?
いっこく堂 『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)の「出てこい! パフォパフォ」というパフォーマンスのコーナーに出演したんです。そしてそれを見た人に「おやこ劇場、子ども劇場に出てみない?」と誘われました。
おやこ劇場、子ども劇場は、親子で舞台を鑑賞してもらおうという組織なんですけど、まずはその企画会議に出てくれという話でした。関東、関西、東北、北海道、九州、四国と、各地で行われる企画会議で腹話術を披露するんですよ。僕の持ち時間は3分間。そこで好評を得て、オファーが殺到して。年間300本のステージをこなすようになったんです。
写真撮影=末永裕樹/文藝春秋