「何が目的だったのでしょう…」
とはいえ、商標は権利を持っているだけでは1円にもならない。使用料の請求も断念したいま、柚葉氏には「ゆっくり茶番劇」という商標権を持つ経済的なメリットはなくなった。河野弁護士も、柚葉氏の目的が分からないと首をかしげる。
「『東方Project』という人気コンテンツのミームを商標登録すれば炎上することは目に見えていましたし、柚葉氏が何を考えていたのかは正直わかりません。『ゆっくり茶番劇』を押さえることで、その周辺にある『ゆっくり解説』や『ゆっくり実況』といったより大きなジャンルの商標を狙っていた可能性もありますが、それも成功の可能性は極めて低い。何が目的だったのでしょう……」
近年は、他人が作った商品や言葉を無関係の第三者が商標登録して問題になるケースが度々注目される。その最も有名なものが「マリカー訴訟」だ。
「任天堂のゲーム『マリオカート』そっくりの恰好をして公道を走るサービスを提供した企業が、任天堂から不正競争防止法違反などで訴えられた訴訟です。訴えられた企業は当時マリカーと名乗っており、『マリカー』の商標まで登録していました。マリオカートならさすがに登録できなかったでしょうが、『マリカー』はできてしまった。これで特許庁には略称やミームの浸透度を判断する機能がほとんどないことが明らかになりました。最終的には任天堂が勝訴して商標取り下げや賠償金の請求に成功しましたが、今後も似たような事件が起きる可能性はあります」
マリカー訴訟や「ゆっくり茶番劇」事件で、元のコンテンツや言葉を作った人間でなくても商標登録が意外と簡単にできてしまうことは周知の事実となった。それを受けて「コンテンツ制作者がミームも含めてあらゆる言葉を商標登録して防衛すべき」という意見も出てきているが、河野弁護士はその効果には懐疑的だ。
「商標登録をすれば他者が使用することを抑えることはできますが、逆に広く使ってもらった方がメリットが大きいと考える企業やクリエイターが増えています。そのためにあえて商標を登録しなかったり、二次創作について著作権を主張しないケースも多い。『ゆっくり茶番劇』にしても、『東方Project』の生みの親であるZUNさんは自分の権利にせずに多くの人に開放することを選んでいた。柚葉さんはその好意を裏切ったことで大きな反発を受けました。なので今後ドワンゴが商標の無効審判を申し立てるとしても、ドワンゴ自身が商標権を取得することはしないと予想します。多くのユーザーが育ててきた言葉の権利を特定の会社が持つことに拒否感を覚える人もいるでしょうし、動画コンテンツの制作者が商標権を気にして萎縮したらニコニコ動画にとってもデメリットですからね」
ドワンゴが5月20日に今後の方針や動画での「ゆっくり茶番劇」という言葉の利用について見解を発表したことで、商標を巡る騒動は落ち着きつつある。河野氏は騒動全体のなりゆきにはおおむね納得しつつ、1つだけ気になる点があるという。
「今回の柚葉氏は“ただ乗り”的な部分が大きかったのは事実ですが、例えば『ゆっくり実況』という言葉を本当に最初に生み出した人が、その言葉を明確に使った最初の動画を公開すると同時に商標登録していたとすればどうでしょう。確かに『ゆっくり実況』は『東方Project』の二次創作的な位置づけですが、『ゆっくり実況』という言葉やカテゴリー自体はその人の発明品なので、原作になく新たに創作された部分については著作権や商標権が認められることがあってもいいと私は思います。二次創作だから何でもダメなんだ、とはぜひ思わないで欲しいですね」
二次創作が問題なのではなく、多くのユーザーが協働的に育てた共有財産を、後から自分だけのものにしようとしてはいけない。そういう“ズル”を防ぐことが著作権や商標権の原理原則なのだ。