累計部数1900万部を超える『ゴールデンカムイ』の名物キャラクター・白石由竹。「稀代の脱獄王」の異名を持つ彼のモデルになったのは、「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄(しらとり・よしえ)である。
生涯で“4度の脱獄”に成功した白鳥が兼ね揃えていた「3つの特殊能力」とは? 異色のベストセラー『つけびの村』で注目を集めた高橋ユキ氏の新刊『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』より一部を抜粋。(全2回の1回目/後編を読む)
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初めての脱獄
1907(明治40)年、青森県に生まれた白鳥は、父親の病死をきっかけとして2歳で親類の家に養子に出された。尋常小学校を卒業後、家で豆腐屋の仕事を手伝い、父親の借金を返して将来は自作農になる夢のために、寝る間も惜しんで働いていたという。
21歳の頃には地元で所帯を持ち、一男二女の父になった。しかし、白鳥は豆腐屋稼業のかたわら、賭博の金欲しさから、土蔵荒らしにも手を出すようになってしまう。最初の刑務所送りの原因となる殺人は、この流れで起こした事件だった。
仲間と雑貨商の家に忍び込み、店内を物色していたとき、同家の養子に見つかった。逃げ出すも追いつかれ、仲間が組み伏せられた際に、25歳の白鳥は養子の背中を日本刀で斬りつけ殺害したのだ。
2年後に土蔵荒らしの犯人として盛岡警察署に逮捕、のち青森刑務所柳町支所に移送。なかなか公判が開かれないことに焦れ、また看守の冷酷な扱いに耐えられなかった白鳥は28歳の頃、ここから初の脱獄を果たす。
当時の東奥日報が、脱獄を報じていた。
『午前五時二十分から三十分までの間に白鳥由栄が独房の錠前を巧みに外し裏塀を飛び越えて脱走した』
『兇悪なる殺人強盗犯人白鳥由栄(三十)逮捕のため、捜査当局は夜に入る前に逮捕すべく全機能をあげ一般の協力を求めて全県下に捜査網を張り特に潜伏を豫像される青森市内には文字通り蟻の這ひ出る隙もなく網を張りめぐらし彼の立寄先と覚しき個所を虱潰しに捜査したが白鳥の脱走は全然瞬間的の出来心からではなく、予てから脱走の計画をめぐらして居たものらしくために白鳥も脱走後の行動に就いては用意周到を極め居るものと見られる』(昭和11年6月19日)
同時にこの記事には、県から市民へ、白鳥確保のために協力を求める旨も記されていた。捜索のために消防手らが出動し、のどかな田園風景の中を『犬一匹も見逃さずと警戒』する事態に発展し――ポンプ車もサイレンを鳴らして出動したため――「火事だが」と近隣住民が外に飛び出し、叫び出す一幕もあった。
依然として行方が知れないなか、弘前市内で目撃された「似た人相の男」を捕まえるも、人違いの無銭飲食男であったり、挙動不審の男を確保するも、これまた人違いのバット所持男であったりと、捜査員らは躍起になるあまり、空回りした面もあったようだ。
といっても、このときの逃走生活は長くはなかった。「東奥日報に出ている白鳥由栄に似ている挙動不審の者を見た」という報告が寄せられたことにより、警察は大捜査網を敷いた。白鳥が潜伏していると推測された地域を中心に、数十名単位の捜査員を円形に配置し、徐々に円を狭めていったのだ。その結果、共同墓地付近に白鳥がいると分かった。押しかけたところ、空腹でフラフラの白鳥を発見。確保に至った。逃走から2日後のことだった。彼の確保のために6300人あまりが駆り出された。