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“ヤモリ”のように天窓によじ登り

 だが、そこから1年も経たないうちに、白鳥は2度目の脱獄に成功するのである。その執念には、秋田刑務所における処遇の劣悪さが関係していたようだ。刑務所側は、特別に作った「鎮静房」という独房に、白鳥を収容した。

「鎮静房」には昼間でもほとんど陽が射さず、高い天井に薄暗い裸電球が一灯あるのみ。三方の壁は銅板が張られ、扉は食器を出し入れする小窓もなかった。秋田刑務所なりに、脱獄を警戒してのことだろう。しかしこの“やりすぎ”な対応がかえって白鳥の怒りに火をつけてしまったのだ。

 のちの判決文には「手錠をかけられた儘で置かれたのでこのままでは到底耐えられないと考え、再三担当看守にその房から出してくれるように取り計らってもらいたいと申し出たが聞き入れられなかった」とある。

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 過酷な環境で一冬を過ごした白鳥はしびれを切らし、青森と同様に綿密な計画を立て、入念に準備を進めてふたたび脱獄を果たすことになる。

『せまい独房の両側に足をかけて“ヤモリ”のようによじのぼり天窓にとびついて、ブリキ板の一片とクギ一本を手に入れ、この材料でノコをひそかにつくり、看守の眼をのがれてはわずかの時間に壁をのぼり明り採り窓の木ワクを切り、数日でこれを切断し、これにより十七年六月、この窓の鉄格子をたたきはずして脱走』(『北海道新聞』1947年4月3日)

 2度目の脱獄の目的は、秋田刑務所での処遇改善を司法省に訴えるためだったと白鳥は主張している。刑務所内から看守に向けて直訴しても、処遇は一向に改善されない。ならば直訴するしかない……。脱獄当日の夜は前日からの雨がひどくなり、暴風雨となっていた。物音をかき消してくれる天候、午前0時に行われる看守交代の15分のタイミングを狙い定め決行したのだ。

 しかし、そうはいっても脱獄の第一ステップの“天井によじ登る”行為すら、常人にはなかなかできるものではない。白鳥はこれを『直角の銅板の壁を両足でふん張り、両手を壁にピタッと吸いつけて、一歩一歩せり上り、予め取り外しが出来るように仕込んでおいた天窓を頭突きで外してから、屋根瓦に飛び移った』(『脱獄王』より白鳥の証言)というから、その身体能力には驚かされるばかりだ。

皮膚を吸盤のようにできる特異体質

 彼の“特異体質”は、単に運動神経が良いというだけではない。ほかにも大きな特徴があった。ひとつは、手足の裏の皮膚を伸縮させ吸盤のようにできること。もうひとつは、身体中の関節を自由に外せることだ。首さえ出入りできる場所があれば、猫のようにそこから全身を出すことが可能だったという。秋田の脱獄は、彼の執念と特異体質あってこそできる離れ業だった。

写真はイメージです ©iStock.com

 こうして脱獄に成功した白鳥は3ケ月かけて東京にたどり着き、小菅刑務所時代にお世話になった主任なら自分の訴えに耳を傾けてくれるのではという一心で、主任の官舎を訪ねた。ドアを開けて白鳥の顔を見た主任はもちろん驚いたが、すぐになかに白鳥を招き入れ「腹が減ってるだろう」と、熱いお茶と蒸し芋でもてなした。泣きながらこれを食べた白鳥は、鎮静房での過酷な日々を告白したのち、主任に付き添われて自首した。そして、秋田刑務所はこの一件で鎮静房を廃止したのだった。

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高橋 ユキ

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