「無責任の体系」とは何か? 『昭和天皇独白録』
時代が悪かった。自分は組織の一部として行動したにすぎない。個人的に責任は感じるが、同じようなことはみんなやっていた――。このような弁解をしたのはなにも芸術家だけではなかった。政治家も、軍人も、官僚もみなそうだった。丸山真男がいう「無責任の体系」である。
そこで『昭和天皇独白録』を読むと、国家元首であり、名目上陸海軍の最高司令官であった昭和天皇でさえ、立憲君主として不本意ながら対米英開戦に同意したと述べている箇所に出くわす。
「開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下に於る立憲君主として已むを得ぬ事である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何等異る所はない」
天皇は作戦について意見を述べ、ときに影響を与えていた
『昭和天皇独白録』は、1946年3、4月に行われた聞き書きを御用掛だった寺崎英成がまとめたもので、『文藝春秋』1990年12月号において初公開された。「寺崎資料」とでもいうべきものを「昭和天皇独白録」と名付けたのは同誌編集部の妙技であって、今年のオークション落札をめぐる珍騒動も「寺崎資料」ではここまで盛り上がらなかっただろう。
それはともかく、今日では『昭和天皇独白録』が東京裁判の弁明書として作成されたことが指摘されており、その内容を鵜呑みにはできない。また、昭和天皇が日中戦争や太平洋戦争の作戦について意見を述べ、ときに影響を与えていたことも明らかにされつつある。
常識ある主脳者の存在しなかつた事
ただ、昭和天皇がすべてにおいて絶対的な権力を行使したわけではなかったのもまた事実である。そのため昭和天皇が、同資料で敗戦の原因のひとつとして首脳部の問題をあげたのも無理からぬことだった。
「常識ある主[ママ]脳者の存在しなかつた事。往年の山縣[有朋]、大山[巌]、山本権兵衛、と云ふ様な大人物に缺(か)け、政戦両略の不充分の点が多く、且軍の主脳者の多くは専門家であつて部下統率の力量に缺け、所謂(いわゆる)下克上の状態を招いた事」
しかし、そうすると、もはや誰が責任者なのかよくわからなくなってくる――。
指導層の無責任や軍部の暴走などは聞き飽きた話だろうか。そうかもしれない。だが、現在の世界情勢は当時とまったく異なる。諸々の弊害が外部から来ると考えれば、また新しい気持ちで古典的な作品も読み直せるだろう。武威を振りかざすのは、もはや東アジアで日本だけではないのである。