戦争協力と煮え切らない態度 カズオ・イシグロ『浮世の画家』
日本軍の南京占領は1937年12月なので、今年はいわゆる「南京大虐殺」から80年でもある。2月に刊行された村上春樹の『騎士団長殺し』では、その犠牲者数について「中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます」と書かれていて、ある種の政治傾向の持ち主たちをいきり立たせた。
かれらは、村上が(今年も?)ノーベル文学賞を逃したことを喜んだかもしれない。だが、実は受賞者のカズオ・イシグロも過去作の『浮世の画家』で「シナ事変」に言及していたりする。
「『シナ事変のポスターか』と、わたしは記憶をたどりながら言った。『うん、いまきみのポスターを思い出した。あれは国家存亡の危機だった。もはや迷いを捨て、国家になにが必要か決断すべき時だった。いま思い出すと、きみはなかなかよくやった。みんながきみの作品を誇りにしたものだ』」
『浮世の画家』の主人公は、戦時下に国威発揚に協力した画家の小野益次。かれは敗戦後、周囲に疎んじられて、不愉快な思いを幾度となくさせられる。だが、その態度はなんとも煮え切らない。責任を感じるといいながら、具体的な行動はほとんど伴わない。義理の息子や弟子などに嫌味をいわれても、猛烈に反論するわけでもない。
ついには最後までそばにいた弟子にまで愛想を尽かされてしまう。それでも小野は反省するより「最初からずるがしこい面があった」「あの男がいかに巧妙に戦争を逃れたか」と愚痴をいう始末だった。
戦時下と敗戦後の「なんとなく」
物語の最後までこのどっちつかずの状態が続く。なんとも後味が悪いが、いっぽうで生々しくもある。
戦争に協力した芸術家たちが、強く自己批判したり、強く自己弁護したりすることはまれだった。『浮世の画家』には、戦争協力を苦にして自殺したと噂される那口幸雄という作曲家がでてくるが、現実にこんな例はなかった。
多くの場合、戦時下にはなんとなく戦争に協力し、敗戦後にはなんとなくそれをうやむやにして戦後社会に適応していったのである。本作はその「なんとなく」がうまく描き出されている。戦後日本にありがちな、戦争責任糾弾の調子ではないのがかえってよい読後感を与えてくれる。