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 今回も、ドイツとイタリアはロシア最大の銀行であり、ロシア産エネルギー代金決済との関わりの深いズベルバンクのSWIFT排除には最後まで慎重だった。

脱原発が「ロシア依存」を増大させた

 ドイツは福島原発事故の後、脱原発を進めたことがガスのロシア依存度の増大をもたらしたが、ロシアへの依存度の高さは長年にわたって政策として進めてきた「選択」でもあった。ロシアとの間の5000キロに及ぶ石油パイプラインが敷かれたのは1964年である。ドイツがソ連からガスの輸入を始めたのは1973年の石油危機の時である。それは70年代初頭にウィリー・ブラントSPD政権が、冷戦下の米ソ緊張緩和の動きに呼応して始めたソ連圏に対する「接近による変化」の東方政策(オストポリティーク)の一環でもあった。

 ドイツのロシア(および東独・東欧)政策は「経済相互依存は両国及び欧州の平和をもたらす」との前提(というより信念)に基づいていた。ロシアとドイツを1200キロの海底ガスパイプラインでつなぐ「ノルド・ストリーム」はその物理的象徴でもあった。

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 2005年、シュレーダーSPD政権はロシアとの間で「ノルド・ストリーム1」建設の協定に署名した。ロシアはオレンジ革命の後、EUとNATOへの加盟を掲げて登場してきたユシチェンコ政権との間でガスをめぐる紛争が多発、ウクライナを外し欧州にガスを送るパイプラインの建設を進めようとしていた。

 ドイツはロシアとの間で紛争を抱えるウクライナの地政学的リスクを回避したかった。双方の“ウクライナ処分”の利害関心が重なったのである。ロシアは翌2006年1月、ウクライナ経由のガスパイプラインを3日間、止めた。

 2011年9月、プーチン首相(当時)はロシア北西部のウスチ・ルガで「ノルド・ストリーム2」の運転開始ボタンを押した。同年11月、メルケル首相はメドベージェフ・ロシア大統領などを招き、ドイツ北東部ルビミンで行った完成式典でこのパイプラインは「欧州とロシアの信頼あるパートナーシップの基礎となる」と宣言した。