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中3で母親に整形させられ、高校時代は摂食障害に…“毒親”に育てられた漫画家の壮絶な親子関係「母との思い出で特にトラウマなのは…」

グラハム子さんインタビュー #1

2022/06/18
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――実際はどんな絵が好きだったのでしょうか。

グラハム子 幼い頃は少女漫画の絵をよく模写していました。「セーラームーン」とか、「赤ずきんチャチャ」とか、あとは「姫ちゃんのリボン」とか! 

 中学生になってからは、イラストレーターの326(ミツル)さんの絵も好きでよく真似して描いていましたね。子どもながらに漫画の模写は上手だったので、母も口では嫌がりながら、「この子は絵の才能があるのかも」と期待していたのかもしれません。

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©深野未季/文藝春秋

高3の進路決定時には摂食障害で体も心もボロボロ

――では、子どもの頃から本心では漫画家になりたかったのですか?

グラハム子 いや、高校時代はダンスが好きでミュージカルスターに憧れていました。宝塚とか、劇団四季に入ることが夢だったんです。でも母に「ミュージカルスターになりたい」と伝えたら、話すら聞いてもらえませんでした。

 だから母に隠れてアルバイトをして、モダンバレエの教室に通っていました。授業も部活も真面目に出て、成績を落とさないように勉強もして、体型維持のためにダイエットもして……。そうやって忙しすぎる日々を送っていたら、高校時代にストレスで摂食障害になってしまったんです。過食と嘔吐を繰り返し、体重は30キロ台まで減ってしまいました。

――摂食障害で病院に行きたいとお母さんに伝えても、近所の目を気にして取り合ってくれない描写が書籍にもありますよね。

グラハム子 整形するためには進んで病院に連れて行くのに、病気を理由には連れて行ってくれないっておかしな話ですよね。

©深野未季/文藝春秋

 高校3年で進路を決めるときには、摂食障害の影響で体も心もボロボロになっていた。だから「ミュージカルスターになりたい」という自分の夢を改めて母に伝える気力もなくて。結局は、先ほどお話ししたように、母に言われるがまま進路を決めたんです。

 ただ、「うちのお母さんってもしかしてほかの親と違う……?」と思い始めたのは、この進路の選択がきっかけだったかもしれません。

――それはどういうことでしょう。