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中3で母親に整形させられた漫画家が悩む、70代になった“毒親”との将来「母の介護問題にどう向き合えばいいのか…」

グラハム子さんインタビュー #2

2022/06/18

 2022年2月、『親に整形させられた私が母になる』(KADOKAWA)という衝撃的なタイトルのコミックエッセイを上梓した、漫画家・イラストレーターのグラハム子さん。彼女の母親はいわゆる“毒親”で、実際に母親から整形手術を押し付けられるなどの経験をしている。

 そんなグラハム子さんは、大人になってようやく母親の呪縛から解放されたという。そんな彼女に、現在の母親との関係性や、彼女自身が母となった今、子育てについてどのように考えているのか、詳しく話を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)

※なお、グラハム子さんが母親の意向で行った二重まぶた埋没法は数年で取れて、現在は整形をしていません。

グラハム子さん ©深野未季/文藝春秋

◆◆◆

“絶対的”だった母親の存在

――かつてのグラハム子さんにとって、お母さまはどういう存在でしたか。

グラハム子さん(以下、グラハム子) 私にとって母は“絶対的な存在”でした。「母を失ったら私は生きていけない」という思いが子ども心にあったんですよね。それに母も、女手ひとつで子どもを育て上げるのは相当大変だったはず。片親への偏見も今以上にあったと思います。だから母は「私は正しい、間違っていない」と信じていないと、自分を保てなかったのかなと。

 母は世間の目から私を守ることに必死で、私は母の期待に応えるために必死で……。幼い頃から手放しで母に甘えることができず、家では常に緊張していたように思います。なんだか不幸な話ですけど、お互いに必死で生きていたからこそ、いびつな関係になっていたのかもしれません。

――必死に生きて、途中まではお母さまの期待通りの人生を歩んでいました。

グラハム子 いつもは「可愛くなくて恥ずかしい」「親を困らせてばかり」とネガティブなことばかり言ってくる母から、「あなたならきっとできる」と期待をされると、私も嬉しくてどうにかして母の願いを叶えたいと頑張っていました。

©深野未季/文藝春秋

 憎たらしいんですけど、母は基本的に私が頑張れば実現できそうなことしか言わないんです。大学は東大じゃないと許さないとか、オリンピックを目指せとか、明らかに無茶な要求はしないんですよ。だから高校も、大学も、そして最初の就職先も母の希望通りに進めた。

 きっと母は、心から私を幸せにしたいと思っていたんです。実際、そのためのお金や労力はまったく惜しまない人でした。ただ、母のやり方が私に合わなかっただけ。

――現在、お母さまとの関係は?

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