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中3で母親に整形させられ、高校時代は摂食障害に…“毒親”に育てられた漫画家の壮絶な親子関係「母との思い出で特にトラウマなのは…」

グラハム子さんインタビュー #1

2022/06/18

“自分の意思”で進路を決めた同級生にショックを受けて……

グラハム子 当時、私は地元で“進学校”と呼ばれている高校に通っていました。偏差値の高い高校に入ったんだから、いい大学に進学して、安定した仕事に就くのが正解。それ以外は失敗だと思っていて。ましてや、親の希望を無視して自分の“やりたいこと”を押し通すなんて、わがままで悪いことだと信じて疑わなかった。

 でも周りの友達は、私と違って“自分の意思”で進路を決めていたんです。しかも、ある友達が「ダンスを専門的に学びたいから、大学じゃなくて専門学校に進学する」と言い出したとき、その子の親も担任の先生もその選択を反対せずに、むしろ応援したんですよ。

 私からしたら“あり得ないこと”なので、「子どもが自分の意思を押し通すのは悪いことなんじゃないの? なんでみんな応援しているの!?」とショックを受けたのを覚えています。

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©深野未季/文藝春秋

幼稚園のときからスポーツを強制させられる

――幼い頃から植え付けられたお母さまの価値観が、グラハム子さんの心を縛っていたんですね。

グラハム子 そうですね。母からは容姿や進路についていろいろ言われてましたけど、特にトラウマなのはスポーツを強制されたことかな。

――なぜスポーツがトラウマに?

グラハム子 母の勧めで、とある運動系の習い事を幼稚園から始めました。中学生になるときは、わざわざそのスポーツが強い学校に行かされて。中学時代は大会でもそれなりの成績を残せていました。

©深野未季/文藝春秋

 でも、高校に入ったとたん「このまま続けてもあなたが惨めになるだけだから、もうこのスポーツは辞めなさい」って言われました。私は幼稚園からそのスポーツをやっているのに、中学校から始めた子に成績を抜かれたことが母は許せなかったみたいで。私は母が応援してくれていると思っていたから頑張っていたのに……。「結局は何も見てくれていなかったんだ」と感じて、当時はショックでした。

 高校で一旦そのスポーツを辞めたのですが、大人になって母の希望通りに美術教師になったときに、そのスポーツの部活顧問を任されることになって……。

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