近づくと威嚇してくるドーベルマン
林業の衰退とともに、集落の景色にも変化が起こり始めた。
ある日、突然、鴨川源流の川沿いで工事が始まったかと思うと、そこが高い塀に囲まれた産業廃棄物置き場になってしまったのだ。
入口にはドーベルマンが繋がれていて、前を通るたびに威嚇してくる。以前は、清流のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら仲間と自転車で走っていた雲ケ畑街道でも、産業廃棄物を山盛り積んだトラックとすれ違うことが多くなっていった。
木材が売れなくなり、いよいよ山を売る人が出てきたのだ。
林業が急激に衰退するなか、集落に暮らす人たちの意識が少しずつ変化していくのをなんとなく感じてはいたものの、どこかで見て見ぬふりをしていたところがあった。愛着を持って育ててきた山を手放さざるを得なかった集落の人々のやりきれない思いも痛いほどわかったが、それでも私は「ふるさと」だと思っていた美しい集落が変わってしまうことに衝撃を受け、その事実を受けとめられずにいた。だが、もう直視せざるを得ない現実として迫ってきていた。
「ふるさと」を守れる人間になりたい。
自分はこの現実の前でどうすることもできない……。
その頃の私は、そういった現実から目を背けるかのように、休日になると旅に出ていた。北海道から沖縄まで、さらには東南アジアや東欧に至るまで、どれだけの土地を巡ったかわからない。
きっと、どこかに理想の「ふるさと」があるはずだとの思いが、まだ心のどこかにあったのだろう。だが、どこに行っても同じだった。そして、旅を続けるうちに、私は自分のなかでスイッチが切り替わるのを感じていた。
幼少期からずっと、変わることのない美しい風景や暮らしを「ふるさと」に求め、理想の場所として探し続けてきたが、そんな場所はこの世に存在しないのだ。
あまりにも幼すぎたノスタルジックな憧れが恥ずかしくもあったが、旅を続けるなかで、私はこれまでの自分の甘さにはっきりと気づかされていた。
愛する風景や暮らしは、自分で守らないと、そこにあり続けることはないのだ。暮らしを支えるための産業を創り出していかなければ何も守ることはできない。
本当の意味で「ふるさと」を守れる人間になりたい。
それからは、田舎で楽しく暮らすなどという淡い将来のイメージを捨て去って、卒業後は大切な地域を守り、維持するためのスキルを磨きたいと考えるようになっていった。
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