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吉岡里帆が提案した、劇中のシーン

 オンラインイベントでは、吉岡里帆が劇中のクライマックスにいたる後半のシーンで、アニメスタジオのスタッフ一人一人の名前を呼びたい、と提案したことを吉野耕平監督が明かしていた。これを受け、吉野監督は一人一人のスタッフの名前を新たに考えたという。この映画が持つヒューマニティには、そうした吉岡里帆の感性が反映している。

 映画公開直後の23日月曜日、『めざましテレビ』5時台の放送で、「お互いの憧れる点は?」というインタビューを受けた中村倫也は、吉岡里帆について「根性と執念がすごいと思いますよ」「これだけ可愛らしくて恋人にしたいNo.1なわけですよ。だだけど中身は皆さんが思っている以上に怨念にも似た執念を持ってる女優さんだと思います」と語っている。

 実際の映像を見ると吉岡里帆は中村倫也の言葉にかぶせ、遮るように「全然嬉しくない。なんか嫌です」と笑って受け流している。だが、「えっ、なぜですか?」とか「私のどういう所ですか?」と驚いて聞き返す様子は全く見せていない。

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 それはまるでどこか別の場所で、中村倫也にすでにそう言われたことがあるような反応、彼が自分についてそう語る理由を知りながら、それはまだここで語るべきことではない、と受け流そうとする反応のようにも見えた。

 中村倫也は演技力だけではなく、高い批評性と知性を持った俳優だ。初長編作品『水曜日が消えた』で「ボロボロになった経験」が今作に生きたと語る吉野監督は、前作で主演俳優の中村倫也と衝突した経験を「味方になるとこんなにも心強い、ベジータのような存在」と語り、クールな顔に隠れた情熱を王子千晴役に生かした。

「怨念のような執念」と中村倫也が吉岡里帆について語り、本人に流された言葉は、どんな批評家の言葉よりも吉岡里帆という俳優の隠された一面を短く、的確に表現しているように思えた。

 映画『ハケンアニメ!』はSNSで高い評価が広がりつつ、苦しい興行が続いている。だがこの映画が2022年に公開された日本映画の中でも指折りの傑作であることは疑いがない。

 興行が縮小し、やがて打ち切られても心臓の鼓動を止めない映画が世の中には存在するのだ。吉野耕平監督はおそらく、10年経っても見知らぬファンからこの映画の思い出を語られることになるだろう。

 この映画は中村倫也という役者のクールな顔に隠れた激しい情熱、吉岡里帆の甘い声の下にある泥臭く誠実な正義感を完全に説明した、128分間の名刺になっている。俳優たちが作品に捧げた情熱や時間と引き換えに、映画監督は彼らに代表作という名刺を贈ることが出来るのだ。たぶんこの先何年も、この映画は新しい観客を獲得し続け、吉岡里帆や中村倫也や小野花梨が本当は何者であるのかを未来の観客に説明し続けるだろう。

 これは涙ではなく、汗についての映画である。吉岡里帆も中村倫也も、そして映画のモデルとなったアニメーターたちも、今は次の場所で次の汗を流しているだろう。流れる血が赤い色をしているように、それが実写であれアニメであれ、あるいは工事現場や厨房であれ、働く人々の流す汗はどれもよく似た、尊く薄汚れた色をしているはずである。