主張のはっきりした油彩画に囲まれると、本作は淡い色使いと線描でさっぱりとして見えますが、独特のクセがあるのも確か。この絵を描いたウィリアム・ブレイクは時代を先取りしたというか、オリジナリティの強い作風で知られる詩人・画家でした。
ブレイクは幼い頃から画家を志し、14歳で銅板を彫る彫版師に弟子入り。彼の作品に見られる簡潔な線描には、この修業が役立ったと思われます。次に、ロイヤル・アカデミーの美術学校で学ぶ機会を得ますが、この頃から油絵のドロッとした質感や、それを生かした画風に抵抗があることを表明していました。彼が支持したのは水性の絵具で描かれた中世の装飾写本や、線描による表現の大成者であるミケランジェロ。本作も線描を主体に、淡い水彩で色が乗せてあります。
油彩画と水彩画の違いは、色の素になる顔料を練る材料の違いにあります。顔料はそのままでは紙やキャンバスに貼りつかないため、糊の役割を果たす展色材を必要とし、その展色材が油彩画は油で、水彩画はアラビアゴムなのです。それぞれ油彩絵具、水彩絵具と呼びます。なぜ「水彩」と呼ぶのかというと、水彩絵具は水で溶いて使うからです。水は油と違って乾燥するとカサがなくなるため、厚塗りに適さず、薄く溶くとこのような淡い仕上がりになります。
ブレイクの描く「人」は、中世の絵画のように図式的と言ってもいいくらい簡潔で、軽くさらっと描いたようなところがあります。これは写実的な画風が主流だった19世紀初頭としては革新的。同時に、筋肉は各部の形状や筋肉同士の境目が詳しく描写してあり、体を大きくひねった複雑なポーズも見られますが、これらはミケランジェロから取り入れたもの。ミケランジェロは、それまでのフラットで量塊感のない中世的な人体表現に対し、立体的で筋骨隆々な人間像を描きました。結果として、ブレイクの作品には中世的な表現と英雄的な人体が組み合わさり、復古的なだけではない独自性が生まれたのです。
本作の主題は旧約聖書の『申命記』から取ったもので、神が石板に十戒の最初の文字を刻むシーン。神を真後ろから見た姿で大きく中央に描いています。赤と黒が基調の背景に神の姿だけ白く塗り残されているため、まるで発光しているようにも見えます。
では十戒を受け取るモーゼはどこにいるのでしょうか。じつは神の足元に小さくうずくまっているのが彼です。サイズ比を極端にすることで、さらに神の重要度が象徴的に高まります。また、真っ直ぐな線は神の体と十戒が刻まれる石だけで、それ以外は炎のように揺らめく曲線。それでも神が画面の中になじんでいるのは、薄布から透ける神の筋肉の形状が、背景の形状と呼応して統一感を生んでいるからです。
さらに左右対称構図の随所に、堅さを和らげる非対称の要素がちりばめてあります。たなびく神の髪の毛とゆるめた左足、天使の顔の向き、ところどころに使われる青や黄色など。他にも探してみてくださいね。
INFORMATION
「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」
東京都美術館にて7月3日まで
https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_scotland.html
●展覧会の開催予定等は変更になる場合があります。お出掛け前にHPなどでご確認ください。