ほぼ無人の新幹線コンコース
実際に浦佐駅に降り立ってみると、観光客で賑わってもおかしくない休日の日中でも、新幹線停車駅とは思えないほどの静けさに包まれている。高架上にまっすぐ伸びている長いプラットホームには、列車の到着間近になってもほとんど乗客の姿が見られない。列車の接近を告げる自動案内放送が無人のホームに繰り返し流れる様子には、冬でなくともどこか寒々とした雰囲気を感じさせる。
ホームの階下は改札口前にコンコース(中央通路)が設けられているが、列車の到着直後にわずかな下車客が足早に改札口へ向かって歩いていくとき以外、まとまった人数の利用客を見かける機会が少ない。改札口を出たところには、JRグループ直営のコンビニエンスストアが1軒営業しているだけ。店内にはレジ前に立つ店員の姿しかなかった。
駅前にそびえ立つ巨大な田中角栄像
「八海山口」と称する駅の東口には、タクシーやバスが下車客を出迎えるロータリーが広がっている。そこで客待ちをしているタクシーは2台だけ。新幹線の下車客を迎え入れるバスが接続しているわけでもない。駅前の三国街道を自動車が頻繁に通過していくが、駅前ロータリーに出入りする車は稀だ。
そのロータリーの入口付近に、田中角栄元首相の巨大な立像がそびえ立っている。ちょうど50年前の昭和47(1972)年に『日本列島改造論』で全国の新幹線ネットワーク拡大を唱えた田中元首相は、この浦佐駅を含む旧新潟3区を選挙地盤としていた。上越新幹線の誕生当時、新潟出身のこの不世出の政治家による絶大な影響力があったことを疑う日本国民は、ほとんどいなかったに違いない。
新潟や長岡といった主要都市の停車駅ではなく浦佐駅前が建立地に選ばれた背景はいろいろだろうが、開業当時の記念きっぷに使用されている空撮写真を見ると、当時の浦佐駅東口は田畑ばかりが広がっていて、今よりも何もない。この駅前なら、駅舎正面の好立地に大きな銅像を建てやすかったのではないか、と37年後の今なお思わせる周辺環境ではある。