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〈開業40周年〉上越新幹線に乗って“リアル廃墟”になった国鉄赤字ローカル線跡を訪ねてみた

〈開業40周年〉上越新幹線に乗って“リアル廃墟”になった国鉄赤字ローカル線跡を訪ねてみた

2022/06/19

genre : ニュース, 社会,

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サイクリングロードとして定着した廃線跡

 その上越新幹線の終着駅・新潟の東方約30kmに、新発田(しばた)という旧城下町がある。JR羽越本線と白新線が接続するこの交通の要衝から、かつて赤谷線というローカル線が分岐していた。内陸部の東赤谷までの18.9kmは全区間が新発田市内に属しており、東赤谷の先には鉄鉱石採掘のための専用鉄道もあった。

さようなら赤谷線記念入場券の5枚セットの裏面をつなぎあわせると、赤谷線の路線図になる(著者所蔵)

 上越新幹線の開業によって首都圏から新潟へのアクセスは格段に便利になったが、沿線に目立った観光地がない地味な赤谷線にはほとんど何の影響もなかった。国鉄末期に全国で実施された赤字ローカル線の廃止の一環として、赤谷線も昭和59(1984)年3月限りで廃止され、バス輸送に転換されている。

 細長く伸びる鉄道の廃線跡というのは、使い道が限られる。無難な例は自動車道路やサイクリングロードへの転用で、沿線に著名な史跡などがない赤谷線跡の大部分は、もっぱら地元の人たちの生活用サイクリングロードとなっている。

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赤谷線サイクリングロード。かつての東中学校前~五十公野間

風雪に耐えて現存する旧・赤谷駅舎と鉄橋跡

 終着駅の一つ手前にあった赤谷駅跡には、線路跡を活用した自動車道路に面して、朽ち果てそうな木造の駅舎が廃線から38年を経た今も残っている。地元の集会所、ボランティア送迎の待合所として使用されているらしい。周辺にはわずかに民家が並んでいるが、もともと赤谷駅は集落の中心部から離れていたため、かえって取り壊されずに済んだのだろう。

赤谷駅跡。道路はもとの線路跡、その左にある木造小屋はかつての駅舎
赤谷駅の廃止記念入場券(著者所蔵)。列車が走っている辺りが現在のバス停で、券面の写真右側に赤谷駅が見える。線路は現在の県道
廃止から38年後の今も残る旧・赤谷駅舎
ホーム側から見た旧・赤谷駅舎。ここが改札口だったのだろうか?
今は地元の集会所となっている(旧・赤谷駅舎)

 その旧・赤谷駅舎のすぐ先の道路脇には、昭和22(1947)年製の鉄橋が草に覆われて現存している。道路や駅舎のように転用の余地がないが、撤去にも費用がかかるので30年以上放置されている、といったところか。