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「離島診療はまさに命がけの仕事でもあった」戦後沖縄を支えた“阿嘉島の神様”西田医介輔の壮絶な日々とは《診療のため嵐の海を小舟で…》

「離島診療はまさに命がけの仕事でもあった」戦後沖縄を支えた“阿嘉島の神様”西田医介輔の壮絶な日々とは《診療のため嵐の海を小舟で…》

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2022/06/23

genre : ニュース, 社会

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嵐の日にやってきた「褌一本の青年」

《玄関戸を激しく叩く音あり、何事かと戸を開けたところ、そこに褌一本の青年が立っていた。そして子供が高熱を出して苦しんでいるので、向いのゲルマ島(慶留間島)まで往診してほしいと言うのである。こんな暴風雨の最中、海は大時化、とても往診できるものではない、無理だと断ったところ、「先生が行かないと家の子は死んでしまいます。昨日から40度の高熱を出しているんです。どうか助けてください」と、強く求められた》

 聞くと、その青年は「適当な船がないので自分は泳いできた」という。海を隔てた慶留間島には診療所がないため、往診を求めての決死の来訪だった。西田さんは聴診器や薬が入った鞄は濡れないようゴム布で巻いて、青年が見繕ったという小舟に向かった。

西田さんが綴った「自伝」

《往診用の船はと見ると、船らしいものは無いが、墜落したアメリカの飛行機の付属品である補助タンクを改造した小舟のようなものが、浜辺にぽつんと置かれてあった。彼の青年はこれで渡ってもらいたいという。呆気にとられた私は、しばし無言のまま立ち尽くしていた》

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 西田さんは泳ぎが不得手だった。こんなタンク舟で荒波をわたることは不可能に思えただろう。「これが往診用の船かね」と言ったが、青年は泣かんばかりに声を震わせ、こう言った。

《「先生の命はこの私が必ず守りますから」》

 青年の熱意におされ、意を決してタンク舟に乗り込んだ。波しぶきを浴びて船には海水が溜まり、全身すぶ濡れになりながら、青年と慶留間島を必死に目指したのである。

《荒れ狂う波の力は強く、タンク舟を押す彼の青年一人の力では前に進まない。こうなると私も腕も折れよとばかり櫂を漕いだ》

 

 悪戦苦闘の末、2人は慶留間島に到着。解熱剤や抗菌薬を注射するなどの処置をして、男の子は無事に回復したという。

 現在、離島からの搬送では、県のドクターヘリのほか、自衛隊や海上保安庁のヘリコプターなどが出動しているが、当時はそうした体制が整備されていなかった。医療者が命がけで体を張って、島の健康を守っていたのだ。

 座間味島から患者が訪れたこともあった。

 やってきたのは具合の悪そうな生後10カ月ほどの赤ちゃんを抱えた夫婦。1週間ほど発熱と嘔吐、下痢が続いているという。座間味島には診療所がある。なぜ阿嘉島に来たのか聞くと、座間味診療所に派遣されている医師に受診したが症状が良くならず、周囲の人たちから「阿嘉島の西田先生に診てもらいなさい」と勧められて来たのだという。

《これは一寸まずいと思った私は、座間味の先生には、阿嘉診療所に連れて行くと、ことわって来たのかと聞くと、何も言わずに来たというのである。派遣医の医師とはなるべく係わりたくないので、まずいとは思ったが、わざわざ船を仕立てて来所した人を、追い返すわけにもいかず、一応は診ることにした》

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