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隠蔽を正当化するかのような発言

 ちなみに、11年10月20日、井上さんと学校や町教委との話し合いがあった。このときの議事録を町教委は作成した。井上さんが録音をしており、その内容を裁判所に提出した。その中で、事故報告書がマスコミに漏れてしまう「危険性」について次のように述べている箇所があった。

参事「万が一、どこからかですね、この話が、学校でトラブルがあったという話が漏れて、マスコミ関係にですね、報道されるということが、危険性がないとは言い切れません。これが明らかになってしまうと、本当にいろいろな面で、プラスにだけは絶対にならない」

教育長「実際、上げるとなると、中学校の子どももどうのこうの、マスコミがどうのこうのとなって、子どもたちにも影響を受けるわけですよ…(中略)…愚痴みたいになるんですが、結局先生方も全部オープンになる、保護者も…学校がこう、壊れちゃうのかななんて心配なんですね」

 教師間暴力が報道されることはプラスにならないと強調し、あたかも事故報告書を県教委に提出するのはリスクがある、と隠蔽を正当化するかのような発言があった。こうした対応自体が、井上さんに精神的なダメージを与え続けてきたとも言える。

うつ病は私個人の性格の問題にされた

 労災認定をめぐっては、最終的に、公務員災害補償基金宮城県支部から頚椎捻挫の労災認定通知が届いたのは12年6月だった。しかし、14年5月に、2年間をさかのぼって、12年6月7日付で打ち切りとの通知がきた。そのため、井上さんは異議申し立てを行い、期間が延長された。精神疾患については公務外認定されたが、この点も異議申し立て。こちらも再審査請求を経て、労災が認定された。

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「11年11月から休職を繰り返しました。今でもうつ病は寛解していません。町側は、治療期間と後遺障害のすべてが暴行事件や校長や教育長の対応に関係するものではない、と主張してきました。同じような事件の被害者がいたとしても、同じような症状にならない、というのです。そのため、うつ病を私個人の性格の問題にしました。しかし、私は、これまで、意見の食い違いはあったとしても、教員同士のトラブルはありません。暴行事件が起きるまで普通の生活を送り、心療内科などに通院していません」