郊外の片隅にそびえる古びたマンションは、高度経済成長期から日本を変えた「レジェンド」だった――。
全国に16万棟あると言われるマンションの中には、その後の建築の方向をひっそりと変えた、「記念碑的な分譲マンションたち」がある。そんな知られざるマンション史について、不動産鑑定会社・東京カンテイで33年にわたってマンション市場を調査する井出武氏(市場調査部上席主任研究員)が紹介する。
第4回となる本稿では、1970年代を中心に建築された民間マンションを写真や間取りとともに挙げてもらった。(写真提供:東京カンテイ。タイトルのカッコ内は「供給年/供給主体」)
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25 新原町田鵜野森団地(1967年/有楽土地)
高度成長期において、大規模な団地は日本住宅公団と各自治体の公社が供給を担っていたが、1960年代末になると民間大規模団地が徐々に現れてくる。大規模団地分譲を民間企業が行うのはリスクが高い。分譲期間も長くなるし、開発コストも大きなものになる。
突如不景気に見舞われれば、大きな損害を覚悟しなければならない。実際、第一次オイルショックの影響で1972年から1975年までは同種のプロジェクトは姿を消している。したがって、これらの民間分譲団地の担い手はごく限られた企業によって開始された。
「新原町田鵜野森団地」(相模原市南区鵜野森)は、有楽土地(現・大成有楽不動産)が分譲、大成プレハブが施工した13棟からなる302戸の団地である。分譲時の坪単価は17万円、一戸平均価格は344万円であった。棟数が13棟という点に着目すれば「団地」と言っても差し支えないが、総戸数302戸にとどまる。
このマンションは、有楽土地という民間デベロッパーによる団地事業として、「偉大なる第一歩」として記憶されるべきである。というのも、ほとんど同時期に「双子の団地」と言うべき「新原町田グリーンハイツ」の開発が、県道を挟んで近接する敷地に進められたからである。
「新原町田鵜野森団地」と「新原町田グリーンハイツ」は、間取りなどで共通の特徴を持っている。現在では52.08㎡の標準住戸の価格が1200~1500万円程度で流通している。