都心にたたずむ見慣れたマンションが、もし、「レジェンド物件」だとしたら……?
全国に16万棟あると言われるマンションの中には、建てられて40年経っても高値で取引されるばかりでなく、ひっそりと建築の歴史に大きな影響を与えた「記念碑的なマンションたち」がある。
そんな知られざるマンション史について、33年にわたってマンション市場を調査する井出武氏(不動産鑑定会社・東京カンテイ市場調査部上席主任研究員)が紹介する。
第5回となる本稿では、バブル期に建築された「都心の超高級マンション」を、写真や間取りとともに挙げてもらった。(写真提供:東京カンテイ。タイトルのカッコ内は「供給年/供給主体」)
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29 三田綱町パークマンション(1971年/三井不動産)
バブル期を迎えた80年代は、マンションが高額化、高級化していった時代だった。それを後押しした要素が3つある。
1つ目は低金利という追い風。2つ目は累進性が高く設計された相続課税の存在だ。一等地に残っていた大邸宅がひとつずつ姿を消し、マンションに建て替えられていった。そして、3つ目は住まいに対する意識の変化。「戸建てより都心部のマンションのほうが便利」という住まいに対する考え方が生まれた。
これらの条件が重なり、東京には「超高級マンション」が次々誕生することになった。
今回は80年代を中心にみていくが、その前に、超高級マンションの偉大な先駆者に敬意を表さなければならない。日本初の最高級マンションは「三田綱町パークマンション」(港区三田)である。三井不動産が分譲、鹿島建設と三井建設が施工した。1970年6月に分譲開始、1971年に竣工している。
広くとられた車寄せがあるため、外観はホテルのように見える。このマンションは、後の超高級マンションのあり方のひとつを示した大変意義深い物件。三井グループの迎賓館とされる三井倶楽部と隣接しており、当社の不動産鑑定の価値評価の基準のひとつ「品等」においても“最高級”となった最も古いマンションである。
東棟・西棟の2棟建て総戸数は160戸。当時ではかなりの大規模物件だ。分譲型のメイドルームが住戸とは別の場所に配置されているなど、現在ではほとんど見ることのできない様式も目を引く。また、最高階数19階は当時ほとんど例がなく、現在の「タワーマンション」の感覚に近い。
1階から19階まで基本的には同じ間取りとなっていて、間取りタイプは4つしかないが、いずれも128㎡前後。1階の3住戸には「専用庭」ならぬ「専用庭園」があり、最も広い庭園は240.17㎡(1戸)と、ともかく広い。
分譲当時の価格は最も高い住戸で3158万円。平均の坪単価71万円。現在の価値から考えると10分の1くらいの感覚ではないだろうか。現在は坪単価では430万円前後で中古市場に出ており、1億6000万円程度の価格となっている。すでに築51年となっているが、現状でも価格上昇が見られる。
その後、高級マンションは低層・重厚型が主流の時代となり、総戸数50戸以下の5階建てまでの低層マンションが多くなる。その当時、超高級マンションを購入する人は高層階を選択しない傾向が強かったからだろう。
タワー型の超高級マンションがふたたび供給されるようになるのは21世紀になってから。その意味では「早すぎた」タワー型超高級マンションとも言える。