好景気に沸いたバブルの時代。マンションにもその波はやってきて――。
全国に16万棟あると言われるマンション。その中でも、その後の建築に大きな影響や新たな流れをひっそりと作った、「記念碑的なマンションたち」がある。
国内有数の不動産鑑定会社・東京カンテイで、33年にわたってマンション市場を調査する井出武氏(東京カンテイ市場調査部上席主任研究員)が、そんな知られざるマンション史について紹介する。
第6回となる本稿では、バブル期に注目され、いまなお超高級ブランドとして注目される「ホーマット」と「ドムス」を、写真や間取りとともに挙げてもらった。(写真提供:東京カンテイ。タイトルのカッコ内は「供給年/供給主体」)
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35 ドムス青山(1977年/大建ドムス)
バブル期に建てられた超高級マンションブランドとして有名なのが「ドムス」シリーズだ。内装には御影石や大理石が惜しげもなく使用され、その独特の存在感で現在も高い人気を誇っている。
ドムス(旧社名:大建ドムス)が最初に分譲した物件は「ドムス浜田山」(1972年)であるが、この頃ドムスは高級物件に特化した戦略をとっていなかったと見られる。次の分譲物件「ドムス高井戸」も物件の平均専有面積が60㎡台で、あまり他の物件と差別化されていない。
しかし「ドムス青山」(港区南青山)はそれまでの物件とは明らかに一線を画する物件。1977年竣工であるが平均価格は1億円を超え、平均専有面積も113.31㎡となっている。施工は清水建設。5階建ての低層型高級住宅で総戸数31戸、分譲戸数は30戸で1戸は管理人の住み込み用住戸となっている。
専有面積が200㎡を超える住戸が2戸あり分譲価格が2億円超となっているが、最上階にはなく3階と1階。1階住戸は147㎡の専用庭があるが、最高級住戸があるのは3階。最上階ではなく3階に存在するところが当時の高級物件の考え方を示していると思う。
またこの住戸の間取りを見ると、玄関から見て台所と居間というパブリックスペースと、主寝室を含む各居室のプライベートスペースとの動線が左右で分かれており、PP分離(パブリック・プライベート分離)という高級マンションでは共通してみられるスタイルの萌芽が見られる。主寝室には専用の浴室も設置され、ほぼ現在の高級マンションのスタイルを整えている点も注目される。
なお、この物件は高級マンションとして物件の平均坪単価が300万円を超えた第1号物件である。