林道に立つもの
山の上の家からふもとの国道に出るには、グネグネと蛇行する道を使わなくてはいけません。ずいぶんと時間がかかるルートで、日々そこを歩くのはとても厄介でした。
実はもっと早くて便利なルートが一つあったんです。それは山の林の中を一直線に下りていく林道でした。正規のルートより10分近くショートカットできる便利な道なのですが、全く舗装されていない険しい坂道なため、母の再婚相手からは「そこは絶対に通ってはいけない」ときつく言われていました。
ある日の朝、遅刻しそうになった僕は、例の林道を駆け下りました。ダッシュすると2分ほどで国道までたどり着きます。
道の半ばに差しかかった頃です。ふっと自分の左に気配を感じ、ビクッ! と慌てて立ち止まりました。気配のほうに目をやると、鬱蒼とした木々の間に何かがいます。
いえ──“誰か”が立っているんです。
朝日は木々に遮られ届いていません。
“誰か”は影の中に立ってこちらをじっと見ています。
僕は言葉を失いました。
その“誰か”の首から下は人間、顔は牛だったからです。
目が合っているか、合っていないかもわかりませんでしたが、僕はその“牛人間”と2、3秒ほど対峙したでしょうか。
「ひいい!!!」という声が出ると同時に、僕は一目散に転がるように坂道を駆け下りました。“牛人間”が追ってくる様子はありませんでした。
落ち着いて思い返せば、“牛人間”は身長160センチくらい、ジーパンなのか作業ズボンなのかを穿いて、シャツのようなものを着ていました。野生の動物というよりは、文明化された印象ではありますが、茶色い乳牛の大きな頭が乗っかっているのが異常です。よだれを垂らしていたような気もします。
学校に行っても家に帰っても、その日見たモノのことは怖くて誰にも言えませんでした。そもそも、禁止されている林道を通ってしまった後ろめたさもありました。
その後しばらくしてから、恐る恐る林道を通ることがありましたが、二度と“牛人間”に遭遇することはありませんでした。
今日教えていただいたんですが「件(※注)」なんてものがいるんですね。たしかに、特徴がよく似てますよねえ。
※「件(くだん)」は19世紀前半ごろから日本各地で知られる、人間の体と牛の頭部を持つ半人半牛の姿をした妖怪。