“実話怪談”といえば「思い込みや勘違い、あるいはつくり話なのではないか?」と疑いの目を向けられやすいジャンルである。しかし、語り手が偏差値70オーバーの東大出身者だとわかったら、受け手の印象は変わるかもしれない。
『怪談新耳袋』や『東大全共闘VS三島由紀夫』などの映画を監督した豊島圭介さんが東大出身者11人の“実話怪談”をまとめた『東大怪談』(サイゾー)。ここでは同書から、30代のスポーツ新聞芸能記者・吉澤塁さんが語ったエピソードを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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能面
僕は、もともと小さい頃からオカルトや民俗学的なものに対する興味が旺盛で、いつも図書館に行っては、図鑑を眺めたり、ギリシア神話を読んだり、水木しげるの漫画を読みふけったりしていました。「奇跡体験! アンビリーバボー」とか「USO⁉ ジャパン」の心霊特集なんかは必ず見るような、そんな子供でした。
小学5年生の時に、社会科の授業で大森貝塚に行ったんです。縄文時代後期の貝塚の遺跡が有名な場所ですね。男子5人くらいで班を作ってレポートを作成して発表するという授業だったんですが、僕は写真係に任命されていたので24枚入りのインスタントカメラで遺跡やら資料やらを撮影しながら、最後に品川歴史館の展示を見学しました。
フィルムも余っていたので記念写真を撮ろうということになり、博物館内にある受付ロビーの前あたりに5人を並ばせ、僕がシャッターを切ったんです。もう、日も暮れかけている暗い夕方だったのを覚えています。
後日、母が近所の写真屋さんから現像された写真を持ち帰ってきました。何気なく見ていると、1枚だけ明らかに様子のおかしい写真がありました。班のメンバーで並んで撮ったあの記念写真です。5人の同級生の上に何か白いモヤのようなものがかかっていました。一体この白い煙のようなものはなんだろうと、ためつすがめつ眺めていた僕は、その写真を真横にした瞬間、
「わーーーッ」
と思わず声を上げてしまいました。