ネガフィルム
結局1年経って、母は僕と弟を連れて逃げるように故郷に戻りました。
育ってきた環境のせいでしょうか。そのうち、僕は心理学を勉強したいと思うようになり、1浪して東大に合格しました。
これは、大学2年の時の話です。
当時僕がいた寮に、高校時代からの友人Kがいました。何かというとはしゃいで一緒に悪ふざけをするような“悪友”ですね。
誕生日が近づいていた僕は、中学1年生の過酷な1年を過ごしたあの神奈川の町を訪れようと思っていました。酷い体験でしたが、自分が社会を学ぶ機会にもなり、あれはあれで“自分を形作った重要な場所”だったからです。
Kにそんなことをつらつら話すうちに、あの林道で見た“牛人間”の話になりました。Kは「面白そうだから俺も行きたい。もしかしたらソイツを見られるかも!」と盛り上がり、二人で小旅行に出かけることになりました。
僕たちは国道を歩き、例の山のふもとにたどり着きました。懐かしい林道はまだそこにありました。「ここかぁ」とKは嬉しそうに言うと、僕より先にどんどん登っていきます。僕は「気をつけないとケガするぞ」などと笑いながらあとを追いました。
僕が「あ、この辺だ。あの木の下あたりに“牛人間”がいたんだよ」と指さしました。真昼間だったせいか、目撃した日に比べるとだいぶ明るく、薄気味悪さはあまり感じられませんでした。
Kは「写ルンです」(当時流行っていたレンズつきのフィルム)を取り出し、「おまえさ、その“牛人間”がいたところに行ってポーズ取れよ」と僕にふざけた指示を出しました。
渋々でしたが、僕は“牛人間”の真似をした写真を撮らせました。Kはどんどんリクエストを飛ばします。気が引けましたが、旅行につき合ってもらっているし彼のノリをそぐのも野暮だと思い従いました。
「“牛人間”に首を絞められている様子」とか「“牛人間”を後ろから抱きしめる図」とか「キリストの磔」とか不謹慎なポーズの写真を何枚も撮らせてしまいました。完全に悪フザケの悪ノリです。Kに合わせて笑ったりしましたが、嫌な予感は募るばかりで内心はとても気まずかったんです。
「こんな罰当たりなことしてると“牛人間”が怒って出てくるかもな」などとKは期待しているようでしたが、結局、僕たちの前に“牛人間”が姿を現すことはありませんでした。まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、どこかでホッとしたのを覚えています。
後日、僕たちは現像された写真をワイワイ言いながら見ていました(当時はフィルムの時代ですから、町の写真屋さんでネガフィルムを現像してもらって初めて写真ができます)。
Kが気づきました。
「アレ? 例のあの写真がないぞ」
慌ててネガフィルムを確認したところ──該当する箇所だけ真っ黒に塗りつぶされていたんです。自然現象ではなく、明らかに写真屋さんの現像係が意図的に消した痕跡が残っていました。
あとから聞いた話ですが、“心霊写真”が写ったネガフィルムが見つかった場合、写真屋さんのほうでネガを潰してしまうことがよくあるんだそうです。
それにしても、町の写真屋さんは一体何を見たんでしょう。
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