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その日は鶴瓶さん、逃げるように帰った

――歌舞伎座の初日は、鶴瓶さんが失敗したと感じていたと聞いたことがあります。

小松 よくご存じですね。大失敗だったんです。自分の思っているようにできなかった。一言で言うと呑まれたように見えました。伝統ある歌舞伎座で、勘三郎さんとか歌舞伎役者の方々も見に来ている。当時、歌舞伎座で落語会をやった人なんてほとんどいなかったと思いますし。ご自身の思いもあったでしょう。そういう状況にあんな大ベテランでも呑まれたんです。僕もそばにいて、いつもの鶴瓶さんじゃないと思いましたから。

「鶴瓶のらくだ」 撮影:大西二士男 ©フジテレビ

――聴いていても分かりましたか?

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小松 分かりました。終わった後って、楽屋で「どやった?」「こう思いました」っていう話をするけど、その日は鶴瓶さん、逃げるように帰った。で、僕はやけ酒を飲みました(笑)。新しいことをするっていうのは「危ない橋を渡る」ってことだと思うんです。で、危ない橋は絶対渡りきらなきゃいけないんですよ。そうじゃないと、すべてが大失敗に見えてしまう。この時、鶴瓶さんと僕は危ない橋を渡ろうとしたんですけど、渡りきれなかった。それを見られたのがすごく恥ずかしかったし、鶴瓶さんも同じ思いだったと思う。自分の責任だ。落語を真っ直ぐ演ってもらったほうがよかったのかなとか、さすがにその時は僕も後悔しましたね。

 ただ、大阪の松竹座での最終日は、本当に素晴らしい舞台だった。今でも鳥肌が立つぐらいで、僕も見ながら涙が出ました。松鶴さんの「らくだ」というのも豪快で素晴らしかったらしいですけど、落語を知らない僕も、鶴瓶さんの「らくだ」は荒削りかもしれないけど素晴らしいと思うんです。あらためて思いました、鶴瓶さんは凄い人だと。

©深野未季/文藝春秋

「僕の人生史上最低視聴率だった番組」

――その前に鶴瓶さんとは『鶴瓶漂流記』という深夜番組をやってるんですよね。ある人に言わせると、この番組が鶴瓶さんが落語に回帰するきっかけのひとつだったんじゃないかと。

小松 まず『鶴瓶漂流記』がどういう番組かというと、笑福亭鶴瓶とゲストが街頭で待ち合わせをしまして、そのまま1日を一緒に過ごすというだけの企画なんです。それをひたすら撮って、僕が後で時間軸も無視して物語になるようにギッタギタに編集する。お互いビックリさせ合うっていう感じでやっていた番組なんです。落語回帰のきっかけがあるとすると、番組の2回目、ミッキー・カーチスさんがゲストの回ですね。当時ミッキー・カーチスさんは(立川)談志師匠に弟子入りをしていて、「鶴瓶とやるんだったら落語の話がしたい」と。それでミッキーさんは落語家と思い込んで鶴瓶さんに会って、六本木で一晩一緒に過ごすんです。その後、2人は別れて、鶴瓶さんがひとり朝の公園のブランコに座って「ずっと今日1日、俺、あの人に落語家扱いされてたけど、(落語で)できる噺、2つぐらいかな……」って言って終わったんです。だから、そういうことを実感なさったタイミングではあったかもしれないですね。でも、僕の人生史上最低視聴率だった番組です(笑)。

――ええっ!(笑)

小松 視聴率が出なかったんですよ。「※」(0.1%未満)だったんです(笑)。「※」を初めて取りました。でも、当時自分では最高傑作かもしれないと思ってましたね。まあ、この間見返してみたら、演出が出しゃばりすぎて確かに見るのが苦痛な番組でしたけど(笑)。