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「救急とコロナ、どちらも断らない」を実現するために…湘南鎌倉総合病院がコロナ禍の初期段階で見せた“貫くための行動力”

『徳洲会 コロナと闘った800日』より#1

2022/06/25
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 小山洋史は「任命された覚えはないが、いつの間にか自分がコロナ臨時病棟の責任者になっていた」と苦笑しながら、「中等症というと、重症より医療従事者の負担が少ないと思われがちですが、実は“急変予備群”といえるのが中等症です」と説明してくれた。

「中等症は非常にあいまいな定義で、入院対象者であれば“人工呼吸器管理を行わないすべての人”ともいえます。コロナは急性疾患ですから、急な病状変化が起こり得ますし、昼夜問わず人工呼吸器などの医療介入をするべきか否かの判断を迫られる機会が多い」

 手探りの中、小山や内科の医師など当初は10人にも満たない医師らで、5月18日、コロナ臨時病棟はスタートを切った。

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 メンバーの中に唯一、コロナ臨時病棟専属の医師がいた。會田悦久(44歳)という。會田はコロナ発生当初、ベトナムの医療機関で働いていた。だがベトナムではコロナ専門病院でしかコロナを診ることができない。日本に帰国し、出身地である神奈川県で地域医療に貢献したいと思ったという。湘南鎌倉総合病院が運営するコロナ臨時病棟で人手を募集していることを知り、手を挙げたのだった。

コロナ臨時病棟専属となった會田悦久医師(著者提供)

「コロナに真正面から立ち向かえるのは、医者という職種だけですよね。他の職種ではできないことだから、医者としてコロナの診療に加わりたいと思ったんです」

 オンライン上で面談をした院長の篠崎は、当時の會田の印象をこう語る。

「すごく明るく前向きでパワフルな人だと思いましたね。日本から海外に、こういう医者が行っているんだ、と」

 信頼できる、と直感した。同時に面談した小山ら他の医師も同じ気持ちだったという。

「彼も“断らない人”だと思いました」(篠崎伸明)

 “外から”きた医師であるが、會田はこの後、日本最大級のコロナ病床をもつ場所でリーダー的役割を担っていったのだった。

徳洲会 コロナと闘った800日

笹井恵里子

飛鳥新社

2022年6月20日 発売

「救急とコロナ、どちらも断らない」を実現するために…湘南鎌倉総合病院がコロナ禍の初期段階で見せた“貫くための行動力”

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