社会学者の廣末登氏は現職のヤクザや半グレにも直接接触する異色の“ヤクザ博士”だ。中卒で社会に出てファッション業界を中心に働いていたが、学歴コンプレックスを克服すべく一念発起して27歳で北九州市立大学法学部へ進学。しかし就職活動はうまく行かず、行き着いた先はヤクザ研究という異端の学問だった。
「元犯罪者らを擁護しているようにも見えるからか、書いた記事や著作は“炎上”気味です。ヤクザとの接触を問題視されているからだと思いますが、大学などの教育機関からは常勤採用してもらえませんし」
廣末氏はそう自嘲するが、それでも彼はヤクザの研究や、元ヤクザたちへの就労支援などを止めることはない。
彼はなぜそうまでしてアウトローたちに寄り添うのか。はぐれ研究者の波瀾万丈の半生をインタビューした。(全2回の2回目/♯1を読む)
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国会議員の政策秘書になるも「うつ病発症」
――博士号を取得後のキャリアは落ち着きましたか?
廣末氏 いえ、そもそも博士をとっても良い職場に恵まれる方はごく一部ですから。博士号は「足の裏についた米粒」っていうんですよ。とらないと気持ち悪いからとるけど、とった米粒はやっぱり気持ち悪くて食えないですよね。まさにそんな感じで、とるけど、とっても食えないんです。
さらに私の場合は、現職のヤクザも研究対象として付き合いがある。コンプライアンスの問題もあって常勤として採用するのは難しいんでしょう。
――はぐれ博士たる所以ですね。
廣末氏 そこで受けたのが政策秘書の試験です。普通に受けると、国家公務員一種試験ばりに難しい試験ですが、博士号取得者は筆記試験が免除となり、試験は口頭試問だけになるんです。面接に行ったら、「君はヤクザ関連の政策が分かるのか」、で合格しました。
――その後、民主党の国会議員の秘書に。
廣末氏 ですが永田町の議員会館に通ったわけではなくて、その先生の四国の地元で戸別訪問などを担当しました。政策秘書なのにドブ板なのねという思いで過ごしていました。その間に政権交代があって、衆院議員が一気に増えたため別の代議士の秘書になりました。
永田町での仕事でしたが、当時の民主党には小沢一郎さんを信奉する“小沢党”があった。私がついた先生も、小沢さん優先でまったく党の言うことを聞かないんです。党と先生とで板挟みになり、うつ病を発症してしまい、四国時代も含めて約3年半の政策秘書生活が終わりました。