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一方、妻の法代さんも少年院などで少年たちの更生に尽力していた。
「国家公務員一種採用の法務教官で、少年院長を務めていてもおかしくないキャリア。『子どもたちや家族のことを第一に考えたので、産休や育休を多くとりました』と話していました。非常に真面目で、いつも笑顔を絶やさなかった」(上司)
法代さんと浅野の間には20代、10代、10歳未満の3人の娘がいた。
「彼女が一番下の子と歩いていたので声を掛けたら、子供は母親に促され、はずかしそうに『こんにちは』と挨拶してくれた」(同前)
冷え切っていた夫婦仲
だが、夫婦の仲は以前から冷え切っていたようだ。
「子供は『小さい頃に喧嘩をし、仲が悪いと思っていた』と語っている。数年前から口論も絶えなかったようです」(捜査関係者)
浅野は事件直前に、大学近くの団地で一人暮らしを始めていた。住人が語る。
「事件の1週間ほど前、郵便受けの前で『こんにちは』と声を掛けると、目を合わせた後、逃げるように階段を駆け上がって行きました」
前出の学生は「最近、先生は疲れているように見えた」と話し、こう続ける。
「先生は『公務員時代は加害者支援の立場だったけど、被害者側からは“加害者に支援という言葉を使わないでほしい”という声もあるんだよ』と話していた。加害者と被害者、両方に細かく気を配る先生でした」
動機を黙秘している浅野。学生には「『知識』よりも『創造』を大切に」という言葉を贈っていたが、犯罪心理学の知識では、溢れる殺意を止められなかった。