清濁併せ呑むのが「桑田佳祐を聴く」ということ
「ロックンロールでUp Upと行こうじゃない Until we die.」
以上で述べた攻撃的な歌詞の内容が一気に中和するのが、この異様にキャッチーなサビである。
「♪ドッミッ・ファーミソ・ッソッミ・ファーミド・ッミ・ファーミド」という、どことなく沖縄的なメロディに乗せて、「♪ロックンロールでUp Upと行こうじゃない」と歌われ、「Up Up」なノリが前面に出てくることで、歌詞の内容が向こう側に追いやられるような感じがするのは、私だけだろうか。
その結果、この《ROCK AND ROLL HERO》によって、コンサート会場は大盛りあがりとなり、歌詞に織り込まれた日米安保条約や沖縄米軍基地の問題意識が雲散霧消、ロックンロール的な快感だけで、「読後感」が支配される(その結果、この曲は、歌詞の標的となっているアメリカを代表する企業=コカ・コーラのCMソングに選ばれた)。
これは、いいことなのだろうか。
私にはよく分からない。ただ1つだけ言えることは「それが桑田佳祐だ」ということである。ラディカルとポップの融合、どっちかに偏ると桑田佳祐じゃない。「両面(リャンメン)待ち」こそが桑田佳祐だということだ。
このキャッチーなサビによって確かに、ノリがメッセージを打ち消してしまう。ただ、このサビがなければ、大衆にこの曲は届かなかった。大衆に届いたからこそ、私のように、この歌詞に意識的になるリスナーも少なからず現れた。と考えると、功罪相半ばする、という感じがする。
しかし、それが桑田佳祐なのだ。功罪相半ばし、清濁併せ呑むのが「桑田佳祐を聴く」ということなのだ。
よく考えると、この「功罪相半ば、清濁併せ呑む」感じは、戦後民主主義のあり方に近いのではないか。日本国憲法で掲げられた高邁な理想と、日米関係に象徴される窮屈な現実の二重構造や、その中で芽生えていく、楽観と諦観の二重構造と、桑田佳祐の音楽は、どこかでつながっているという気がする。