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「母が『ジュリアーノ、本当に日本語で話してほしい』って」…後藤久美子の息子(22)が語る、“後藤・アレジ家の教育方針”

「母が『ジュリアーノ、本当に日本語で話してほしい』って」…後藤久美子の息子(22)が語る、“後藤・アレジ家の教育方針”

ジュリアーノ・アレジさんインタビュー #1

2022/07/16
note

ーーお母様はジュリアーノさんに日本語を教えるのに苦労されていましたか? または、ジュリアーノさんが日本語を覚えるのに苦労されていたりは? 

アレジ お母さんが僕に日本語を教える時は、すごく厳しくはないけど、すごく緩くもない。半分。ちょうど間。 

 14歳、15歳の頃、ぜんぜん日本語を話していなかった時に、お母さんから「ジュリアーノ、あなたに日本語を話してもらいたい」「半分日本人だから普通に話してほしい」って言われたことはある。もちろん、半分日本人なのに日本語を話さないのは、僕もちょっとおかしいとは思ってた。でも、やっぱり難しかったの。 

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 去年、日本に来てから、ちょっとずつ良くなった。それまではお母さんとしか日本語は話さなかったけど、いまはみんなと日本語を話すから。毎日どんどん良くなって。

 だから、日本に来て本当に良かった(笑)。どんどん慣れてきているけど、まだ難しい。 

七五三、日本食…母・後藤久美子から受けた影響

ーーお母様は日本語だけでなく、日本の食や文化も教えてくれたそうですね。おにぎりを作ってくれたり、七五三をしてくれたと聞いています。 

アレジ そうそう。七五三とか。ジャパニーズ・テイストは、ちっちゃい頃から入ってた。 

 

ーーお母様が作ってくれた日本食で、大好きだったものはありますか? 

アレジ 明太子パスタ。 

ーーあちらでは、明太子は簡単に手に入らないですよね。 

アレジ 日本からオーダーしたり、日本のスーパーっぽい店もあるから、そこで買ったり。でも、明太子はそんなになかったと思う。ほんと、食べられるのはときどき。だから、キャビアと一緒くらい特別だった。スペシャル(笑)。 

ーーご両親は厳格でしたか。 

アレジ お母さんもお父さんも教育には厳しかったけど、日本の親ほどだったとは思わない。いま、日本でちっちゃな子を見ると、やっぱり僕はぜんぜん緩かったと思う。いろいろ許されてた。