ーーお母様はジュリアーノさんに日本語を教えるのに苦労されていましたか? または、ジュリアーノさんが日本語を覚えるのに苦労されていたりは?
アレジ お母さんが僕に日本語を教える時は、すごく厳しくはないけど、すごく緩くもない。半分。ちょうど間。
14歳、15歳の頃、ぜんぜん日本語を話していなかった時に、お母さんから「ジュリアーノ、あなたに日本語を話してもらいたい」「半分日本人だから普通に話してほしい」って言われたことはある。もちろん、半分日本人なのに日本語を話さないのは、僕もちょっとおかしいとは思ってた。でも、やっぱり難しかったの。
去年、日本に来てから、ちょっとずつ良くなった。それまではお母さんとしか日本語は話さなかったけど、いまはみんなと日本語を話すから。毎日どんどん良くなって。
だから、日本に来て本当に良かった(笑)。どんどん慣れてきているけど、まだ難しい。
七五三、日本食…母・後藤久美子から受けた影響
ーーお母様は日本語だけでなく、日本の食や文化も教えてくれたそうですね。おにぎりを作ってくれたり、七五三をしてくれたと聞いています。
アレジ そうそう。七五三とか。ジャパニーズ・テイストは、ちっちゃい頃から入ってた。
ーーお母様が作ってくれた日本食で、大好きだったものはありますか?
アレジ 明太子パスタ。
ーーあちらでは、明太子は簡単に手に入らないですよね。
アレジ 日本からオーダーしたり、日本のスーパーっぽい店もあるから、そこで買ったり。でも、明太子はそんなになかったと思う。ほんと、食べられるのはときどき。だから、キャビアと一緒くらい特別だった。スペシャル(笑)。
ーーご両親は厳格でしたか。
アレジ お母さんもお父さんも教育には厳しかったけど、日本の親ほどだったとは思わない。いま、日本でちっちゃな子を見ると、やっぱり僕はぜんぜん緩かったと思う。いろいろ許されてた。