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サンコン みんなに言われるよ。最近テレビ出ないねって。テレビのオファーはたくさんあったんだけど、講演会の依頼もすごく来てたの。日本とギニアの違いとか、僕の兄弟の話、僕が足を怪我して障害を持った話とか、色々オファーがね。

 そのうちテレビの仕事と講演会の日が重なっちゃったり、収入も色々あって減ってきたの。だから、テレビの仕事を抑えて、講演会の仕事を優先させたんだよね。それで全国の学校とか地方を回るようになった。

「オスマン、お前日本行って来てくれ」

――そうだったんですね。そもそもの話になるのですが、サンコンさんは1972年にギニアの外務省に入られて、そこからどのような経緯で来日されることになったんでしょうか。

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サンコン 当時のギニアの大統領が、「日本はこれから絶対大きくなるから、ギニア大使館開いた方がいいよ」って。それで「オスマン、お前日本行って来てくれ」って言われたのが最初。

 ギニアから日本ってかなり遠いんだよ。でも、日本の能力とか技術、日本人の器用なところとかが手に入ればギニアにとって非常にいいんじゃないかって。ギニアは地下資源すごく豊富なの。金とダイヤモンドね。だから日本人もギニアで働いたり、お互いwin-winになればいいねって話から始まった。

 

――それは、サンコンさんが外務省で働き始めて、どれくらいのタイミングで言われたんでしょうか?

サンコン 外務省に入って半年。まだ23、4歳の頃だね。運も良かったの。国家公務員テストを受けて、僕、ギニアで1番ですよ。それで、僕ともうひとりの2人だけで日本に行くことになったの。でも、当時は日本の情報とかほとんど知らないまま飛行機に乗ってさ。なんだか冒険みたいだったよ。まじ。

 それが、いざ日本に来てみたら、想像と全然違ってびっくりしたね! ビルがたくさん建ってて都会なの。僕の中では、日本人はちょんまげして着物着て、刀を差してる感じかと思ってたから、全くイメージと違ったね(笑)。