「いきなり高田純次が家に来てさ!」と笑顔で語るのは、ギニア出身のオスマン・サンコンさん(73)。『笑っていいとも!』(フジテレビ)や『元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)など、80~90年代を中心にたくさんのテレビに出演し、その明るいキャラクターで多くの視聴者に愛されました。

 もともとは、ギニアの外務省職員として日本にやってきたサンコンさん。しかしひょんなことからテレビの世界に足を踏み入れ、気づけばタレントとして活動していたと言います。来日当初、日本はほぼ“未知の国”だったと語るサンコンさんに、あの頃の思い出を伺いました。(全2回の1回目/後編に続く

オスマン・サンコンさん

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――ギニアの外務省で働いていたサンコンさんが、日本のテレビに出るようになったきっかけは何だったのでしょうか?

サンコン 当時、僕は日本のギニア大使館で働いていて、昼休みになると職場のみんなとテレビを観ながら、お弁当とか食べてたの。それで、いつも通り『いいとも!』を観ていたら、その日は火曜日で、外国人が出ているコーナーがあったんだよね。タモリさんが日本の文化とか歌とかのクイズを出して、それに外国人が面白おかしく答えてて。

 それを観て、急に大使館の事務局長が「サンコンさんも『いいとも!』出てみる? ギニアの宣伝にもなるし」って言ったんだよ。

――突然の話ですね。そう言われてどう思いましたか?

サンコン 別に出てもいいかなって思った。僕は日本ギニア友好協会の広報をやってたし、ギニアに興味持ってもらえるならって。あの頃、日本でギニアって言っても誰も知らなかったよ。アフリカの国の一つってことはわかっても、どこにあるかわからない。アフリカって50カ国以上あるからね。

 

 それに、僕はそのときにはもう新聞とか雑誌には出てたけど、それは話題にもならなかったの。だからもっとギニアを知ってほしい。インパクト。民族衣装とか着て、みんなで盛り上げたらいいんじゃないかなって思った。

打ち合わせにやってきたタモリさんが……

――テレビに出ることに対して、周りの反応はいかがでしたか?

サンコン 「いいの?」「危ないんじゃない?」って言う人もいたけど、外務省には許可をとったしね。それに、テレビに出るって言っても1回だけだと思ってたの。外交官はだいたい2、3年で転勤するから、その間に1回くらい出てもいいかって。もちろん、タレントになりたいとかなかったし、あんまり深いこと考えてなかったね。

――まずは気軽にやってみようと。そこから実際に出演されるまでは、どんな経緯だったんでしょうか。