文春オンライン

「みんなに言われるよ。最近テレビ出ないねって」オスマン・サンコン(73)が語る“来日50年目の現在地”

サンコンさんインタビュー #2

2022/07/16
note

大使館ではどんな仕事をしていた?

サンコン 日本の外務省の車が羽田空港まで迎えに来てくれたんだけど、そこから帝国ホテルに向かう間も、窓から外の景色を見ては「すごい! すごい!」ってひたすら驚いて。日本語も全くわからない状態で来たけど、これは色々勉強しなきゃなって思ったよ。

――大使館では、設立準備の他にどんなお仕事をされていたんですか?

 

サンコン 外務省や企業に出向いてそれぞれの文化や技術をギニアに繋いだり、海外との連絡がスムーズになるようにしたね。今は色んな国と簡単に連絡取れるようになったけど、当時は非常に難しかったの。

ADVERTISEMENT

 それに、自分でもサンコンプロジェクトと言って、ギニアに小学校を建てたり、ギニアと日本で一緒に仕事が出来るように色々進めてるよ。

「僕の好きな言葉、義理人情と浪花節ね」

――来日から50年が経ちました。改めて日本に来たことをどう思いますか?

サンコン 結果、すごく良かったと思う。旭日双光章(※きょくじつそうこうしょう。国や公共に対し功労のある者に授与される章)ももらえたし、日本のみんなにお世話になってる。家を4軒持てたり、ギニアから家族や兄弟を呼んで、学校に入れて将来を作ってあげられた。

 

 日本の医療技術もすごいよ。僕の母は86歳で亡くなったけど、ギニアでは今でも平均寿命は60ちょいだからね。母が80歳のときに日本の病院に入院してもらったけど、そのおかげでかなり長生きできたと思ってる。

 それに、日本ではたくさんの友人もできて、もう30年40年の付き合いよ。僕の好きな言葉、義理人情と浪花節ね。やっぱり持ちつ持たれつ、お互い様。義理がすたればこの世はなしって日本で学んだの。だから日本に恩返ししたいと思ってる。