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「結局どれが真正のミクちゃんなの?」現役ボカロPが語る、初音ミクの“キャラクターとしての特異性”

『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』より#2

2022/07/13

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, 音楽, 読書, アート, 教育, 歴史, 社会

note

 これは、そのような想像力に追いつけない人──経験的には上世代に多かったのですが──を置いてけぼりにしてしまうポイントでもありました。そういう方から「結局どれが真正のミクちゃんなの?」と問われることが、これまで少なからずありました。

 ボカロのポスト・キャラクター性をすくい上げる、シャープな表現をツイッターで見かけたので紹介します。ミクではなく鏡音レンbotのツイートなのですが、「いつかねー よそのいえのぼくみたいにうたえるようになるんだ!ヾ(*`∀`*)ノ(注18)」というものです。「よそのいえのぼく」。ポスト・キャラクターの妙味がにじみ出た美しい表現(注19)です。

2番目以降のものは、必ず相対化される

 初音ミクは、2007年8月31日にクリプトン・フューチャー・メディアから発売されました。その後、同社から鏡音リン・レンがリリースされたり、他社からGUMIやがくっぽいど、IAやflowerがリリースされたりと、2021年時点で、日本語のライブラリだけでも50種を超えるボーカロイド(注20)がリリースされています。

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 ぼくはボカロPで音楽評論家ですと看板を出しておきながら、いま日本国内で流通しているボカロを全部そらで言えと言われてもできませんw

 ただ、たくさんいるボカロキャラの中で、ミクの覇権はなかなか揺るがないなと感じます。ほかの新しいキャラにも期待したいし、ぼくはミク信者ではないんですが、そう認めざるをえない。なぜなら、ミクが到達している場所に、ほかのキャラが簡単にリーチすることはできないからです。

 その最大の理由は、ミクが準拠点になってるからです。先ほど、10回のうち7回遅刻したら遅刻魔という話になりましたが、では10回のうち3回遅刻するのはどう形容すべきものですか?

 学生「えー、ちょっと遅刻魔ですw」

 なるほど。遅刻しないわけではないけど、遅刻魔というほどでもないから「ちょっと」と言ってくれたわけですよね。10分の7以上が遅刻魔という基準から考えてくれたということだと思います。

 では、地球上にきみともうひとりしか人間が存在しない世界があったとしましょう。その人が10回のうち7回遅刻したときに、その人を遅刻魔だと言えるでしょうか。

 そもそも7回遅れたら遅刻魔だというのは、「これまでの経験の中でほかの友人がどれくらい遅刻してきたか」、つまり友人一般の平均値などなにか準拠点があって、それに対する相対性によってイメージしているはずです。

 世界に自分以外の人間がひとりしかいないなら、「ほかの人はそんなに遅刻しないのに、あなたはよく遅れてくる」という言い方は成立しない。このように、特徴というのは、本質的に相対的なものです。

 初音ミクは決して「最初のボーカロイド」ではありません。MEIKOやKAITOや海外製ボカロなど、ミクよりも先行したボカロもあった。それでも、みなさんがイメージするボカロシーンは、その誕生から黎明期においてミクとともにありました。

 だから、ボカロと言ってまず最初に連想されるキャラクターはいまもってミクであり、シーンの中心にはミクがいる。だから、そのほかのキャラクターは、ミクとの相対的な意味づけを必ず持ってしまう。

 たとえば鏡音リン・レンは、ミクと同様に最低限の設定しか持たず、どのように描くことも自由であるはずですが、傾向としては、おてんばだったりわんぱくだったり、あどけなく元気なイメージで描かれることが多い。そこには、リンレンは14歳だという設定が影響しているでしょう。

鏡音リン・レン クリプトン公式サイトより

 つまり、準拠点(16歳のミク)よりも若いということから、クリエイターたちの描き方を総体として見たときに、傾向が生じている。もし、準拠点なしに、14歳のボカロキャラが単体で存在していたなら、あどけなく元気という描かれ方は、現状ほどなされていたでしょうか。MEIKOやKAITOは、お姉ちゃん、お兄ちゃんのイメージをいまほど担っていたでしょうか。