〈『お母さん』と『ママ』はまったく別のものだと、宙(そら)は思っていた〉
宙は保育園の年長組。「ニセモノのママと一緒にいるんだ。かわいそう」と言う同級生に怒ってクレヨンを投げつけるが、「わたしは、可哀相なんだろうか」と少しだけ泣きそうだった――。
町田そのこさんの最新作『宙ごはん』はそんな場面から始まる。宙には2人の母親がいる。産んでくれた「お母さん」の川瀬花野(かわせかの)と、育ててくれる「ママ」で花野の妹の日坂風海(ひさかふみ)だ。だが、宙は産みの親を「カノさん」と呼ぶ。花野に「お母さんと呼ばれる覚悟がない」と言われたから。
「あえて世間的に普通ではない、歪(いびつ)な家族。未熟な母親と、面倒だと思われたくなくて甘えられない娘の、葛藤や衝突を描きました」
宙は小学校に入るとき、夫の海外赴任に同行するママのもとを離れ、お母さんと暮らし始める。イラストレーターの花野は華やかで美しく、チョコを食べすぎても怒らないし、快活に笑い、嫌なことは顔に出る、全く大人らしくない人だ。
2人の生活は早々に危機を迎える。授業参観はすっぽかすくせに、年の離れた恋人とのデートにはまめまめしい。しかし、仕事優先で宙の世話をせず、ご飯をつくってくれるのは花野の中学の後輩で料理人の佐伯恭弘(さえきやすひろ)だ。どうして引き取ったのだろう。口論となり、花野から「やっぱ、無理だわ」と言われ、宙は家を飛び出す。転んで怪我して泣く彼女を救ったのは佐伯だった。彼の手ほどきで、初めて料理に触れる。黄色と白くふわふわしたメレンゲを無心で混ぜる。焼き上がったのは、「ふわふわパンケーキのイチゴジャム添え」。
「編集さんに食事をテーマにしてみないかと提案され、食卓を囲んで一緒にご飯を食べて、少しずつ歩み寄り、親も子も成長していく家族の物語を書きました。辛く嫌なことがあっても、明日を生きるためには食べないといけない。自分のために用意された料理を食べる。これが一番の幸せ、明日への活力になると思うのです」
相容れなかった宙と花野だが、料理を介して徐々に心を通わせていく。にゅうめんやきのこのポタージュ、卵チャーハンなど、「家ですぐに作れる」料理は、湯気が立ち、その味が口の中に広がるようだ。宙と関わる人たちの心も変わっていく。同級生のマリーの母は、感情的になり暴言を吐くような面倒な人だが、マリーは達観している。お互いに期待通りの母や、娘ではないけれど、だからこそ、家族としてできる限りの努力をしよう、と。
「母親に過剰に期待しないでいいのでは。母親だってひとりの人間だと思えば、子どもがお母さんを育てることもできる。家族の付き合い方が変われば、生きやすくなるはずです。私自身、本屋大賞をいただいたときに、『ママがやっていることはカッコいいよ』と子どもに言われて救われました。迷惑もかけたけれど、私たちなりの『家族』に辿り着いたのかな、と。もっとも、子どもたちは私の本を一切読みませんし、仕事にも興味がないみたいですけど(笑)」
物語は全5話。宙の小学校以降の成長を追う。恋もあれば、友達や大好きな人との別れも描いた。
「『52ヘルツのクジラたち』、『星を掬う』、『宙ごはん』は、執筆時期がほぼ一緒で、母と娘の関係や、生きることについて書きたかった。最後に出し切れて満足です。次は恋愛小説、コメディ、今回登場する樋野崎(ひのさき)市が舞台の小説など、最新作が代表作という心持で書いていこうと思います」
まちだそのこ/1980年、福岡県生まれ。2016年、「カメルーンの青い魚」で「女による女のためのR‐18文学賞」大賞を、『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞。著書に『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』『星を掬う』、「コンビニ兄弟」シリーズなど。