東京に住み、もうすぐ40歳になるひの子。非正規で新聞社の校閲の仕事をしているが、いずれ新たな職を探さなくてはならない。新型コロナウイルスが広がるなか、年下の元恋人と再会し、再び付き合うことになる。そして、予想外の妊娠をする。
現代女性が対峙する社会の実相を描く『コークスが燃えている』を上梓した気鋭の作家、櫻木みわさん。自身の経験に材を取ったという。
「フィクションにするため設定は変えてはいますが、私自身が東京で非正規雇用者として働き、未婚で妊娠し、ひとり親になろうとしたけれど、流産をするという経験をしました。昔から“この世界のことがわからない”という感覚が、自分にはあります。世界のことも他者のことも謎であると。今回の経験でも、初めて知る事柄や感情、社会の仕組みの問題などと様々向き合うことになりました。そこで見たものや感じたことを、小説のなかで正確に書きつけておきたい、という強い気持ちがありました」
ひの子はある日、かつて自分の弟との結婚トラブルがあった地元・筑豊の女性、沙穂から電話をもらう。上京してきたエネルギッシュな沙穂に好感を持ったひの子は、14歳年下の元恋人・春生(はるお)に連絡し、再び関係が始まる。そこで予想外の妊娠をするが、春生の心は揺れ動く。ひの子は未婚での出産を決意するが、既婚者の妊婦を前提にしている社会制度など、様々な問題に突き当たる。一方で、通っていた本屋の元店主・有里子さんが的確なアドバイスをくれ、女性同士の連帯に支えられる。春生も出産に前向きになったある日、ひの子は出血する……。流産したひの子は、電車の中でエチオピア人のリディアさんと知り合い、仲良くなる。
「3年間限定の非正規社員も、規定では育休を取れることになっています。でも複雑な条件があり、実際に取るのは不可能に近い。そうした問題は当事者以外には見えにくいものです。私は新聞社の契約スタッフとして働いていましたが、以前は実家住まいの人や既婚女性が主体だっただろうその仕事を、今は多くの単身者も担っていて、生活に不安を抱えている人も多かった。国際女性デーや雇用問題の記事を書いていた記者たちにも、すぐ側にそういう人がいることは見えにくかったのではないでしょうか」
ひの子はかつて有里子さんの店で、『火を産んだ母たち』という本と出会った。筑豊にあった炭鉱の女性たちを訪ね歩いた、実在する聞き書き集だ。
「炭鉱が閉山し、筑豊は貧しい地域になりました。子供の頃、サンタさんが来ない友達がいたのを覚えています。私は筑豊を離れて福岡市の中学に行き、そこで裕福な子たちをみたとき、同等の学力の子でも経済力によって教育や将来の選択肢が違うのだと、実感しました。『火を産んだ母たち』の女性坑夫たちは、男性より低い賃金で同じように働き、子を産み育てた。この構図は今の社会でも続いていますよね。作中のリディアさんにはモデルがいて、実際に電車で知り合ったのですが、彼女の生活に触れ、女性が助け合っているのも同じだと感じました」
様々な人物が登場するが、この小説は、誰のことも断罪しない。
「春生を不実だと感じる人もいるようですが、私はそうは思いませんでした。人はそのときの状況によっても変わります。私自身も変化すると思いますが、今後も小説を書くことで、自分や周囲、世界を理解していきたい」
さくらきみわ/1978年、福岡県生まれ。作家。タイ、東ティモール、フランス滞在などを経て、2018年に作品集『うつくしい繭』でデビュー。