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補強しても地震のたびに被災、下りない保険、借金も認められず…2022年福島県沖地震「またひとつ“最後の名店”が消えた日」

福島県沖地震#2

2022/07/16

genre : ニュース, 社会

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 その五十嵐さんも決して平坦な道だったわけではない。東日本大震災以降は苦労が続いた。原発事故の影響もあって、相馬市内の消費が冷え込んだからである。

 震災発災時、店は五十嵐さん夫妻と息子夫妻の計4人で切り盛りしていた。スーパーなどへの配達も考えると、これぐらいの人数は必要だった。

 だが、4人で働いていては生計が立てられなくなった。そこで、「震災から半年ぐらいで息子は働きに行きました。嫁は宮城県仙台市でヨガの先生に習い、相馬市内で自分の教室を始めました」。

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亀裂、そして陥没(相馬市の隣の福島県新地町)

1日に16時間、絶え間なく働く毎日「妻と遠出をしたのは、新婚旅行で沖縄に行ったきり」

 働き手が半分になっても、仕事は半分になるわけではない。負担は五十嵐さんにのしかかった。

「以前は午前3時に起きていたのですが、これでは間に合わなくなり、2時、1時と早くして、ついに0時になりました。夜は8時に寝るので、睡眠は4時間。それでも仕事の時間が足りず、配達の車の中で朝ご飯を食べることもありました。1日に16時間ぐらいは働いていました」

 体は酷使した。終日立ちっぱなし。冬期はあかぎれで手がガサガサになった。

 休みもなかった。よし子さんと遠出をしたのは、新婚旅行で沖縄に行ったきりだ。

 そうした身を削るような努力は、味に反映されていたのだろう。「美味しい」と評判だった。

 しかし、なぜそう言われるようになったのか、五十嵐さんには理由が分からない。「よそには負けないぞという気持ちでは作っていましたが、特別なことをしていたわけではありません。だいたいどこの豆腐屋もやっていることは同じですよ」と言う。

アルコールではなく熱湯で消毒、急冷装置…手間を惜しまない姿勢が味に

 ただ、基本には忠実に、手間も惜しまなかった。

 豆腐の敵は雑菌だ。午前0時に起きていたのも、製造に入る前に3時間ほどかけて器具などを熱湯に浸け、念入りに消毒するためだった。「アルコール消毒では菌が残ります。熱湯が最も効果がありました」。