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「いま巨額の借金が抱えられるはずがありません」…消えかかる“全国指折りの名品”の行方〈2022年福島県沖地震から4ヵ月〉

福島県沖地震#1

2022/07/16

genre : ニュース, 社会

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 3月16日に福島県沖を震源とする地震が起きてから、4カ月が経過する。メディアの報道はすっかりなくなり、人々の記憶からも薄れつつある。

 だが、最大震度6強を記録した福島県と宮城県の被災地では、極めて深刻なダメージが残っている。あの日のままのような場所も少なくない。

全国でも指折りの醤油に迫る危機

 そうした中、醤油の品質の最高峰を決める全国醤油品評会(主催・日本醤油協会)の入賞蔵数が全国一となっている福島県でもナンバー1の実力を持ち、この10年間で最高賞を4度も受賞した同県相馬市の醤油蔵が、廃業か休業をよぎなくされそうになっている。

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明治建築の山形屋商店。2階には現在の福島県南相馬市出身で、戦後に憲法草案を提案した憲法学者、鈴木安蔵氏が旧制相馬中学に通うために下宿した

 明治建築の醸造蔵が全壊し、主力商品の製造が困難になったからだ。再建には多額の費用がかかり、借金まみれになりかねない。なんとか事業継続できないか道を探っているものの、現時点では非常に厳しいのが実情だ。

 この醤油蔵は「ヤマブン」のブランド名で親しまれてきた山形屋商店。

 江戸時代の1863(文久3)年、旧相馬藩の城下町で創業し、代表社員の渡辺和夫さん(52)は5代目の店主だ。

醤油を手に渡辺和夫さん。被災時は後ろの木製陳列棚も店の反対側まで飛ばされた(山形屋商店)

 醤油は濃い口で、深い旨味がありながらも、すっきりとして切れがいい。爽やかな香りが食欲をかきたてる。太平洋に面していて、海の幸が豊かな相馬市では、飲食店や旅館から「ヤマブン醤油がなければ魚料理の味が決まらない」とまで言われてきた。刺身には抜群に合う。

この10年強、やむことなく続く災厄

 しかし、この10年強というもの、山形屋商店はたび重なる災厄に見舞われてきた。

 まず、2011年3月11日に発生した東日本大震災。相馬市では漁師町が津波に呑まれるなどして458人が犠牲になった。

 山形屋商店は津波が及ばない中心街にあったが、蔵の梁(はり)や壁が落ちるなどして半壊状態になった。瓶詰めしていた約1500本の醤油は、ケースごと吹き飛ばされて全て割れた。

蔵の壁。補強していた部分は残り、していなかった部分は崩れた(山形屋商店)

 相馬市は東京電力福島第1原発から市役所の位置まで約45km離れている。原発事故による避難指示(原発から20km圏)や屋内退避指示(同30km圏)の区域にこそ入らなかったが、市内は大混乱に陥り、避難者も続出した。

 渡辺さんは2人の社員の安全を考え、給与を先渡しして避難を促した。ただ、自身は家族と共に店にとどまった。市内では食料品の販売店が休業するなどして困った市民が、「何か食べるものはありませんか」と頼って来ていたからだ。山形屋商店は醤油だけでなく、味噌や麹(こうじ)も製造販売しているので、蔵には原料の米がいっぱいあった。