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「いま巨額の借金が抱えられるはずがありません」…消えかかる“全国指折りの名品”の行方〈2022年福島県沖地震から4ヵ月〉

福島県沖地震#1

2022/07/16

genre : ニュース, 社会

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明るくなってから確認すると、四つある蔵はどれも大破していた

 山形屋商店では今回、店舗の冷蔵ショーケースが、入口のガラス戸を突き破って道路に飛び出した。ショーケースがあった場所には、さらにその後ろから木製の陳列棚が飛んで来て、のしかかった。

「深夜の発生だったのが不幸中の幸いでした。もし店に人がいたらただでは済まなかったでしょう。歩行者に危害を及ぼしたかもしれませんでした」と、渡辺さんは思い出すだに身震いする。

 明るくなってから確認すると、四つある蔵はどれも大破していた。

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 床には至るところにヒビが入り、蔵の壁はどっさり落ちていた。外が丸見えになっている場所もあった。東日本大震災ではびくともしなかった石蔵も、入口の戸が吹き飛んで石が落ち、今にも倒壊しそうだった。

壁が落ち、蔵の中から外が見える状態に(山形屋商店)
床には至る所で亀裂が走る。左の壁も半ば落ちた(山形屋商店)

 蔵は全体に柱が斜めになっているようで、折れた柱もあった。雨が降れば、屋外にいるかのように雨漏りし、ジョロジョロと音を立てて流れる場所もある。

なんとか再開にこぎつけたが、どうしても復旧できなかったものが…

 市役所の被害調査では「全壊」。ただし、醤油の製造はなんとか再開にこぎつけた。「福島方式」では組合が生揚げを製造するので、山形屋商店で副原料の製造と火入れだけ行えれば商品にできたのである。しかし、味噌の製造ラインはどうしても復旧できなかった。

崩れた土壁(山形屋商店)

 それでも600万円ほどかけて、少量なら造れる応急の製造ラインを構築した。城下町の相馬では各戸で味噌を備蓄する「仕込み味噌」の文化が残っている。山形屋商店で仕込んだ味噌を、家庭で1年間保存して熟成させ、その後の1年間で食べるのだ。

「例年は200軒以上の申し込みがあります。今年はチラシも配らなかったのに、150軒以上の方から依頼がありました。相馬の食文化ですから『できない』とは言えません。そのため応急復旧を急いだのですが、大豆を蒸かす工程はどうしても無理でした。他の業者の空いてる時間に小さな釜を使わせてもらい、蒸かした後にうちまで運んでいます」(渡辺さん)

 山形屋商店の収益は、手作りの天然醸造味噌が主軸だ。醤油は全国屈指の品質でも利幅が薄い。1本買えば、何ヵ月も持つような醤油では商売にならないのである。だが、味噌の製造を復活させるには、いつ倒壊するかもしれない蔵を解体し、新たに工場を建設して、機械を入れなければならない。これには巨額の資金が必要になるだけでなく、時間もかかる。

 政府や県の補助制度はあるものの、自己資金が必要だ。味噌醤油製造という斜陽の業界で、どれだけ返済できるかは見通せない。