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 だが、その後の風評被害では、経営が傾きかねないほど売り上げが落ちた。

 原発は暴走を食い止めるために、冷却水に浸し続けなければならない。その過程で放射能に汚染された水が外部に漏れていたことが発覚すると、山形屋商店は県外の取り引き先を全て失った。

「跡取り息子」ではない渡辺さんに店の存亡が委ねられた理由

 不幸は重なる。先代店主の義父が東日本大震災の翌年に亡くなり、店の存亡は渡辺さんの手に委ねられた。

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 渡辺さんは山形屋商店の跡取り息子ではない。同じ相馬市内の生まれだが、大学では経営学を修めて地元の銀行に就職した。山形屋商店には30歳で婿に入り、義父の意向で丁稚(でっち)奉公から始めた。

 朝は誰よりも早く蔵に出て作業の準備をする。夜は最後まで残って掃除する。その丁稚奉公の最終盤で震災に遭ったのだ。

石蔵。入口の扉が吹き飛び、石が落ちていた。中にいたら、ただでは済まなかっただろう(山形屋商店)

 どう乗り切ればいいのか。1人で悩むことが多かった渡辺さんは、福島県醤油醸造協同組合の勉強会に出席するようになった。震災の年、清酒にならって始まった会合だった。

 福島県は清酒の評価が高い。今年の全国新酒鑑評会では金賞に選ばれた蔵の数が9年連続で日本一になったほどだ。その快進撃は震災前から始まっていた。「清酒が頑張っているのだから、醤油も続こう」と県内の醤油蔵からやる気のある経営者や醸造責任者が集まって勉強会を開き、持ち寄った自社の醤油を「きき味(み)」して互いに批評し合った。

 これに刺激を受けた渡辺さんは、全国醤油品評会で何度も入賞していた宮城県の醤油を買い求め、毎日のように「きき味」をして比較研究した。そして独自の製造方法にたどり着いた。

震災から2年後、たどり着いた最高賞の意味

 醤油は大豆や小麦から麹を造り、乳酸菌と酵母菌で半年間発酵させて「生揚(きあ)げ」と呼ばれる生醤油を製造する。これに副原料を加えて、加熱(火入れ)をすると、香ばしく赤みがかった醤油になる。

 福島県の醤油醸造方法は「福島方式」と呼ばれ、生揚げまでは協同組合の工場で一括して製造している。これを各蔵が仕入れ、工夫した副原料で火入れして、独自の味に仕上げている。

 渡辺さんは、副原料に義父考案の「かえし」を使うと、非常に美味しくなると気づいた。「かえし」とは、薄めるとそばづゆや天つゆになる調味料だ。

 さらに、火入れの段階で温度を高めにするなどして、香りを飛ばすだけ飛ばしてしまう。芳醇な香りが求められる醤油には禁じ手のようだが、渡辺さんは逆に「逃げるべくして逃げる香りもある」と考え、残った香りを大切に熟成させるようにした。