「昨年の地震は、震災より激しかった」
これほど損壊したのは、揺れが従来より酷かったせいでもある。「昨年の地震は、震災より激しかった。今年の地震は昨年と同じ震度6強だったのに、比べ物にならないほど揺さぶられた」と、人々は口をそろえる。
もう一方の店舗として使っていた建物は、もともと靴屋を営んでいた人の住居兼店舗だ。それを父が入手し、1階の店舗部分を豆腐店に改造した。補強はしていたが、この10年強は地震のたびに被災した。
「東日本大震災では屋根の一部が落ち、そこだけ直しました。昨年の震度6強の地震でもやられましたが、保険があまり下りず、壊れた箇所の修繕にとどめました。これまでの被災時に思い切って改築していたら、今回の地震には耐えられたでしょう。機械は倒れた程度だったので、店舗さえ大丈夫なら豆腐店は続けられたのです」と、五十嵐さんは悔しがる。
改築できなかったのは、資金力がなかったせいだ。豆腐や油揚げを一つ一つ丁寧に作るような経営ではもうからない。「原料の仕入れや、水道代、電気代に支払ったらもう終わりでした」と語る。
しかも、「建て直そうにも、この年になったら金融機関が借金をさせてくれません。もし借りられたとしても、残りの生涯では返済できないでしょう。幸い、豆腐店の返済は配達車のローンが残っていたぐらいなので、これを機に畳むことにしました」と、寂しそうに説明する。
災害のたびにこぼれ落ちるように閉店が続く世界
相馬市内の豆腐店は、災害のたびにこぼれ落ちるようにして閉店してきた。
かつては10店ほどあったようだが、近年まで残っていたのは3店だ。
そのうちの1店は、2019年10月の台風19号と、その直後の集中豪雨で浸水し、機械が使えなくなって廃業した。
もう1店も、2021年2月の地震で機械が壊れ、廃業せざるを得なくなった。
最後に残ったのが五十嵐さんだった。