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 ポロシェンコは大統領としての栄誉礼を受け、エリゼ宮(大統領官邸)には報道陣が並んだ。ゼレンスキーの訪問は公表されなかったが、会談の後、彼は民間のFMラジオで、「とても友好的で、我々は生活について、根本的なことについて話した。ドンバスの紛争について話した。汚職対策と改革について話した」などと語った。

 マクロンはゼレンスキーの冷静さに感銘を受けたと伝えられている。

“就任後初の公式訪問国”にフランスを選んだゼレンスキー大統領

 ゼレンスキーは大統領就任後初の公式訪問国としてフランスを選んだ。マクロンは、記者会見で「親愛なるウォロディミル」と呼び、11世紀のフランス国王アンリ1世とキエフ公国のアンヌ王女の結婚を喚起しつつ、新しい時代の新しい関係を強調し、ゼレンスキーが行おうとしている改革への全面的支持を表明した。

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ウクライナのゼレンスキー大統領©AFLO

 ちなみに、フランスの国営放送France2が、報道番組で、ウクライナ侵攻が始まる前のマクロン大統領とロシアのプーチン大統領の電話会談の一部を公開した。

 内容もさることながら、驚いたのは、お互いに「ウラジーミル」「エマニュエル」と呼びかけていたことだ。ドイツのショルツ首相やイタリアのドラギ首相にも「オラフ」「マリオ」と呼びかけていた。日本の首相が、アメリカの大統領と名前で呼び合ったといって友情を誇るが、何のことはない、まったくあたりまえのことなのだ。むしろ、そうされないときこそ問題視されるべきなのだ。

 それはさておき、マクロンとゼレンスキーの間にはこのような慣行を超えた友情があった。

マクロンとゼレンスキー、知られざる“背景”

 2人は共通項が多い。そもそも同い年(マクロンが1か月上)である。また、ゼレンスキーは政治の素人だったが、マクロンも大統領府事務次長や経済・産業・デジタル大臣などを経験してはいるものの、議員になったことはなく既成政党にも属していない。マクロンは、右でも左でもない、フランスを近代化する改革の大統領として当選し、ゼレンスキーもオリガルヒ支配と汚職で腐った国の改革を旗印にしていた。

 侵攻前、マクロンはモスクワとキーウを訪問し、解決の糸口を探った。その後も毎日のようにゼレンスキーと電話会談し、プーチンとも話した。

 侵攻の日にも、ゼレンスキー大統領は電話でマクロン大統領と直接英語で話し、2014年のクリミア侵攻とはまったく違う全面戦争になってしまった、いまこそ欧米は結束して欲しい、自分もプーチンと交渉の席につくと述べた。マクロン大統領はプーチン大統領にゼレンスキーのメッセージを伝えた。