しかし、それをあえて口にしたのは、いかにもマクロンらしい。自分はちゃんとやっているのに、非難されるいわれはないという、エリートの持ち前の傲慢さ。フランス国内でも「道を渡ればすぐ職は見つかる」とか「努力が足りない」とか庶民感情を逆なでする失言を繰り返している。6月の総選挙で与党が過半数を大きく割ってしまった一因でもある。
ポーランドの首相から「ヒトラーと交渉できるのか」と言われても、モスクワ会談や侵攻前の電話会談でのプーチンの「2枚舌」がわかっても、小馬鹿にした態度をとられてもマクロンは頑固に立ち位置を変えなかった。
「6月16日以来、マクロンは一度もプーチンに電話をしていない」
こうした状況で、6月16日、マクロン、ショルツ、ドラギの仏独伊3首脳のウクライナ首都・キーウ訪問があった。
この訪問は大きな転回点であった。マクロン大統領は、「現在の現場の状況は(ロシア大統領との対話を)正当化するものではない」と認めた。キーウ郊外のイルピンで「虐殺」とはっきり断言したのである。
3首脳は、いままでの躊躇を捨ててウクライナに即座にEU加盟候補のステイタスを与えることを提案する、ウクライナがクリミア半島を含む領土を保全するまで、ウクライナが勝利することを望んでいると明確に宣言した。
「ロシアは昨日も同じ大陸にいたし、今日もいて、明日もいる大国だ」、同じ大陸で隣接する以上、「ウクライナは、いつかは欧州を交えてロシアと交渉しなければならない」というマクロンの考えは“正論”である。しかし、それはゼレンスキーが体験している現実とは違う。牙をむいたプーチンに“正論”は通用しない。このギャップが2人の不仲の原因であった。
このギャップは、EU内での東欧諸国と西欧諸国の差でもあった。プーチンのロシアの脅威を肌で感じている東欧諸国と距離のある西欧諸国の間で溝ができていた。いまや、マクロンはじめ西欧諸国は自らの甘さを悟ったのである。
マクロンは訪問の前日ルーマニアで「ウクライナの軍事的勝利以外の出口はありえない」と断言した。訪問後も「私たちがゼレンスキー大統領の代わりに勝利を定義するのではない。しかし、彼がある時点で交渉することを決定した場合、それは大陸の安全に関するものであり、私たちは彼の側で安全保障を提供する」と終戦処理にこそ自分の出番があり、そこでもウクライナ側につくと立ち位置を明確にした。
とりあえずキーウ訪問でマクロンとゼレンスキー、EUの東と西のギャップは埋まった。6月16日以来、マクロンは一度もプーチンに電話をしていない。