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 個人的な友情のほかに、フランスはウクライナ紛争に少なからぬ因縁がある。2014年に東部紛争が起きた後、フランスのオランド大統領とドイツのメルケル首相が仲介して停戦合意(ミンスク第2合意)が結ばれた。

 それがずっと守られなかったのだが、オランドに代わって大統領となったマクロンは、2019年12月にパリの大統領官邸に、ゼレンスキー、プーチン、メルケルを招いて4者協議をおこない、ミンスク第2合意の遵守と捕虜交換などを決めていた。

 侵攻前にロシアとウクライナの首都を訪問したとき、自身再選を狙っているマクロンのパーフォーマンスだという外野の声もあったが、むしろ、マクロンにとって仲介者となるのは義務とさえいえるものだったのだ。

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マクロンがふれたウクライナ国民の逆鱗

 ところが、侵攻開始の2か月半後、5月12日、ゼレンスキーはイタリアのテレビRAI1でマクロンを非難した。「ロシアに逃げ道を与えてはならないのに、無駄な努力をしている」「ロシアとウクライナの仲介で結果を出したかったのだろうが、何の成果も得られなかった」。しかもこれをTelegramの自分のアカウントにアップした。

 じつは、5月9日に欧州議会でマクロンは「ロシアに対して屈辱を与たり復讐したりする誘惑に屈してはならない」と述べ、ウクライナ国民の怒りを買ってしまったのである。

 キーウ周辺からロシア軍が撤退して残虐行為が発覚した時、マクロンは「虐殺」といわなかった、支持の証として各国首脳がキーウに来たのに来なかったなどということも蒸し返された。

 ゼレンスキーのマクロン批判は、これを反映した発言なのか、真に絶望したのかはわからない。

 いずれにせよ、5月17日の電話会談でマクロンは誤解を解き、攻撃用武器供与も約束した。ゼレンスキーも納得したとフランスでは報道されている。

「自分はちゃんとやっているのに、非難されるいわれはない」というマクロンの“エリート意識”は再び…

 ところが、6月4日掲載の、フランスのいくつかの地方紙のインタビューでマクロンは「戦闘が止まる日、外交ルートを通じて出口をつくれるようにするために、ロシアに屈辱を与えてはならない」と繰り返してしまった。

 ウクライナの完全な敗北は想定できないが、直接の西側の介入なしにロシアが完全に敗北する可能性も低い。であるからウクライナを全滅させる危険を冒して戦争を長引かせたくないのであれば、プーチンと話し続けるべきである、という考えから出た発言である。マクロンの独善ではなく、EUでもドイツ、イタリアをはじめとする西欧諸国の認識である。