「まずい」 と言われるのはつらいもの
スタッフが交代でキッチンに立つというところに、どうやら問題の本質があるらしい――観察の末、そう私は推測した。スタッフは調理のプロではない。家庭での調理経験が豊富なスタッフもいるが、この仕事に就くまでどの程度の経験があったかわからないスタッフもいる。そんなメンバー9人がシフトを組んで調理を担当するのだから、十人十色ならぬ九人九色で、毎食異なる味付けの料理を食べることになる。なかには「まずい」と言いたくなることがあるかもしれない。
とはいえ、家族からスタッフに文句を言うわけにもいかない。いまの母は認知症で自制心を失っている。スタッフからは、「お母さまから“ごはんがおいしくない”って言われるんですよー」と度々聞かされた。
これが家族向けに表現をやわらげた言い方であろうことは、2年半自宅介護してきた自分にはわかる。間違いなく母は、「何これ、まずーい」とか「おいしくなーい」と叫ぶとかの、ずっと強い言葉でまずいと言っている。自分が調理したごはんの現物を前にして、母から直接「まずいーっ」と言われると、いくら仕事だからと割り切ろうとしても精神的にこたえるだろう。
その上で、家族が「……などと本人が申しているので、何とぞ食事の質を上げるように努力願えませんでしょうか」などと追い打ちをかけるわけにはいかない。
さあ、どうしたものか―。
とりあえずすぐにできることは、面会時に何か食べ物を持って行くことだ。行くのは午後の時間帯が多かったので、大方はおやつ、つまりお菓子になる。和菓子や洋菓子など、ちょっと凝ったスイーツを2つ買って、ホームでお茶を入れてもらって母と2人で食べる。
私はこれを繰り返し、おかげで近所の洋菓子店・和菓子店に詳しくなった。認知症は時として味覚の変化を伴うものだが、甘味の感度は比較的最後まで変化せずに残るらしい。母 も、お菓子は喜んで食べた。これにはもうひとつ効果があり、少なくとも食べている間は、私は母からのああだこうだの文句を聞かなくて済んだ。
スイーツ持ってのグループホーム通いは1年以上続いたが、ある時、スタッフの方から言いにくそうに言われてしまった。「あの……このところお母さまの体重の増加が続いておりまして……できれば甘い物は控えたいと思うのですが」。
体の衰えによる運動量の低下と、過食症の再発が重なって、母が太りはじめてしまったのである。
グループホームにおいて、入居者の体重増加はかなり深刻な問題だ。肥満が進行するとそれまでスタッフ1人でできた身の回りの世話を2人で行う必要が出てきたりするからだ。
もちろん糖尿病のような慢性疾患を呼び込む可能性もあるので、過食を起こした入居者の体調管理はきちんと行わねばならない。
というわけで、「行くたびにスイーツ」というのは「様子を見つつ時々」となってしまった。